何かを、大切に感じる気持ち。その在り方に悩む

ふと。きょうは、好きな人。恋愛感覚について思い出す機会があった。

あれこれと、タブーや世間体を乗り越えて、自分のままに「好き」を発動してきたけれど。まだまだ、自分の中に制限残っていたなと思い出す。

この人に、触れたいんだ。大切にしたい気持ちもある。
でも、世間体とか正しさとかを、自分の気持ちとごちゃまぜにしてしまいそう。

触れたいし、大切にもしたい。でも、相手にも幸せでいて欲しい。

どうすれば、その人が幸せになるんだろう。考えてみたけど、答えは見えず。相手の幸せと、自分の欲とが、同時存在できる位置がみえない気がする。わたしが大切に思ったのだから、それが全て。それだけでいいはずなのに、背景にあるもの全てを悩んでしまうのは何故だろう。

動物的な欲が中心にある、それだけの気持ちなのか。あれこれと、背景つきつめたうえでの気持ちなのか。

揺れ動きながら、それでも。なにか、答えを見つけたい気持ち。欲があるのに、それを超えた愛の形を見つけたい。言い訳を作りたい。正しさと不埒との境界線上をあるいているような、不安定な感覚。

そんな気もちを持つ、自分を面白くおもう。

きゅうっと、手を伸ばしたいような恋しい気持ちを感じたのは、直近だと樹の人だ。触れることもできず、声も聞けず。それでも、そこに、その気配があるだけで嬉しい。ふと、とおりぬける感覚だけで、温かくなれる。触れることができないのが、さびしい。

樹の人と、ヒトとでは、進む時間の感覚が違う。どうしても、会いたい気配だけれど、わたしのヒト感覚の中では遠い人。その遠さが不毛に思われて、もう、会わない。そう決めたのに、まだ気持ちが残っている。いつか、身体が無くなった時、そこにありたいと願う。

今、目の前にいる人は、樹の人ではない別の人。そう知っているのに、好ましく感じる部分は、とても樹の人に似ているものがある。樹の人の似姿として、欲を持ったのか。その人、そのものを好ましく感じて、欲を持ったのか。謎。

ああ、この人、大切だな。一緒の時間を過ごしたいな。触れたいな。

「世間」や「普通」でみたら、どうしようもない気持ち。それでも、自分のなかに在る大切な気持ち。

実際に、この気持ちを形にしてみるのか。感じたままで、昇華するのか。それは、まだ見えないけれど。

触れたいな。あったかいな。と感じたわたしのことは、受け止めよう。

今の、わたしは。触れたくて。そばにいたいと思ったのか。それでいいや。

どうするかは、また。その時の気分や考え次第。今、この瞬間に決めるものではない。そして、こう迷っている自分が、不思議と誇らしい。大切にしたいものを見極めようと、あれこれ考えることができているのだから。

ほくほくと、自分のことをほめながら、眠りにつく。

今日は、おやすみなさい。

光があるのに、うっすら暗い。そんな恋愛観もってるみたい

この記事は、わたしの恋愛観そのものだけど。事実だけではないですよ、妄想が入ってますよ。その種明かしは「お金と豊かさのブロックを外すワークショップ」の感想のなかで。

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