自分の心のねっこにあるイメージをそのままにくみ取りやすくなるのは、考えすぎないから。自分の心にごまかしがきかない。
時間を短く区切られて思考停止 ⇒本心が見えた?
お弟子さん講座の中で、ぽんぽんとテンポよく根本師匠から質問されて、ぽいっと考える時間を区切られて、集中してぎゅうぎゅう考える。ぽんぽん⇒ぽいっと⇒ぎゅうぎゅう。そのサイクルの繰り返し。
いろいろな質問や課題を、たたみかけるように投げかけられるから、じっくり考えすぎるほどの時間がない。知りたいこと、確認しておきたいことがたくさんあって頭がぼんやりしてくる。ますます考えられなくなる。考えられなくなるから頭の中の思考が止まる。そして、本心のかたちが浮かび上がる。
本心にあった「理想のクライアントさん」の姿
そのおかげで、わたしが会いに来てもらいたかった人(クライアント)の形が、自分が考えてきたのと少し違っていたと知った。
「あなたにとっての理想のクライアントは、どんな人?」と質問された。10分間でどんどんノートに書き出してみた。書いている途中で、あれれ? からくりに気づいたかも……
▽わたしの書き出した理想のクライアント(一部編集すみ)
仕事もそれなりにやれていて、世間とのつきあいも適度にこなす。子どもは産みたいけれど、育てられるかは不安。 パートナーは欲しいけれど、結婚の形にはこだわらない。仕事はずっと続けたいけど、家でのんびりするのも好き。でも、どこにもほんとうの自分の居場所はない気がする。
自分のこともよくわからない、だって周りに合わせ続けてきたから。周りに合わせるのは嫌じゃないけど、自分のいちばんやりたいことは周りのルールから外れるからやってはいけない。感情を抑え続けて、心も壊れた。壊れたから元どおり以上になって、次こそ自分自身を生きたいと思ってる。
わたしの書き出した理想のクライアントは、離婚したことをようやく実感できた頃のわたしだった。 カウンセラーになったわたしが寄り添いたかったのは、「何としてでも次は自分自身を生きようと決意した時のわたし」だったみたい。
自分自身を生きたいと思ったら会いに来てね、と自分から言えるように
まずは「自分自身を生きようと決意した時」会いに来てもらえる人になろう。
あの頃、わたしは何を知りたかったかな?
何を伝えてもらったとき、嬉しかったかな?
どんな人に会いたかったかな?
心が壊れて、そこから抜け出した人は、その後は幸せになれてるといいなと思っていた。ぱっと見て「笑ってたのしそうに」暮らせてるといいなとおもってた。
……大丈夫。15年たって、しあわせだと言えるようになってる。笑えている時間もあるし、ときどきはなうたな暮らしをしてる。
さて、それをどう伝えよう。どうやって、ここまでやってきた道をサンプルに作ろうか。調べたものたちを、形に残してみようか。
やってみたいことがみえてきて、たのしくなる。同時に、その量に圧倒されて足もすくむ。
わたしのキャッチフレーズを考えてもらったときのお話。
「心に寄り添いながら、一緒に未来を見てあげられるカウンセラー」