「どこまでいけば完成か」問題

カウンセラーの根本さんちでお弟子さんになって、毎月の宿題が出ている。その締め切り日が明日に迫って、まるで夏休みの最終日のように「宿題」を確認している。まだ終わらない。

学生の頃にあった夏休みの宿題は、自分がやりたかったものだけ提出して、それ以外は先生と提出するかどうかの根競べをしていた。やりたくないから手を付けていない宿題をそのまま忘れて欲しい私と、なんとかして提出させたい先生との根競べ。

今回のお弟子さんな宿題は、すべて提出したい、やりとげたい。だから、せっせと宿題に取り組んでいる。けれど「完全にしあげた」宿題を出したくて、どこまでのものを完成品として提出するかに頭悩ませている。どこまでは宿題の範囲内で、どこからが私の趣味の世界なのだろうか。

趣味の世界といわれる部分をおまけとして、どれくらい完成品にとりいれるか。それは会社員の頃からの悩みどころだ。仕事のなかで、お客さんからお願いされた内容について調べ、それをまとめあげて技術報告書を作っていた。技術報告書の値段と内容の濃さは、報告書をつくるのに必要な調査内容と時間などによって変わってくる。

どこまでやれば、お客さんの支払ってくれた金額にみあう内容になるのか。どこからがおまけになってくるのかの判断はあいまいだ。そのおまけ内容も、趣味的なものか戦略的なものか、判断が分かれることも多い。その時の悩みは、報告書をしあげる時期の大きな悩みでありたのしみでもあった。

それと似た悩みとたのしみを、今とりくんでいる宿題についてもっている。

よりよいものを届けたい気持ちに変わりはない。かけられる時間のめいっぱいで、今の自分にできる精一杯のことをする。その「完全にしあげた」状態に届くには、いくらやっても終わりがない。それでも、どこかで完成させなければならない。なにをもって「完成」とするかを、自分自身で決めることが必要になる。

どれだけのものを仕上げたいのか。なにを書いておきたいのか。
そのものさしが、まだ、自分の中であやふやだ。

どこまでが必要最低限(?)で、どこからが完全なる趣味の世界になるのか、まだ未知数。
どこまでいけば完成か、それが問題だ。

続けられる範囲で。でも、今のじぶんにできることはやりきって。宿題の完成品にしよう。だって、せっかく見てもらえるなら、できることはやっておきたいから。……と、おおきなことをいってみるけれど、まだまだ。宿題に終わりが見えない。

あす、提出できるかな。いや、提出しよう。決意しつつ、眠りにつく。今夜の夢は、きっと、パソコンの前に座ってもの書いているにちがいない。夢の中まで宿題が追いかけてきそうだ。

なにをやっていても「どこまでいけば完成か」が、わたしにとっての問題になる。そして、それをおもしろがる自分がいる。悩むことがおもしろくなってくる修行僧的属性は、ここでも発揮されてるな。にやりと笑う。

光みえてくる夢になりまうように
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