「熱中症ってこわいんだよ。お茶飲んで、飴たべてね」
先日、妹宅の子どもたちと運動会に行ったとき。妹やその子供たちから、何度もいわれたことば。
5月になってから10月くらいまでは、小学校でも熱中症に気をつけるように言われるらしい。
飴たべるのか。甘いのは嫌だな。と言ってみたら
頭が痛くなるから、嫌いでもちゃんと食べてね。と手渡された。
運動会の始まる前の日に、手渡された飴。
味見してみよう、と口にほうりこんだら……あんまり、おいしくなかった。食べたくないな。
おいしくなくても食べて。頭痛いと、ばたんとなるから、運動会が楽しくなくなるよ。
しぶしぶ、数個をポケットにしまった。
子どもたちや妹家族たちの飴は、ほかの弁当やおやつと一緒にかばんの中へ。
そして、そのまま。忘れてた。
数日後、外歩きの帰り道。
頭が重くなってきた。
なんだか、変だ。頭がじんわり痛くなってきた。
ポケットの飴を思い出し、口に入れた。
?!
びっくりするくらい、おいしいラムネになっていた。
ほんのり酸っぱくて、がしがしとしたラムネ。味見をしたときは、あれほど、おいしくないと感じた飴が、すごくおいしい飴に思えた。
ちびりとお水を口にふくむと、もっとおいしく感じた。 じんわり、頭の重さが溶けていった
……熱中症になりかけてたのね、わたし。
からだの中に、足りているときはおいしくないと感じる。そのときは、無理に食べなくてもいい。
でも、欲しいと思うときは、足りなくなってるから口にしてみる。おいしいと感じるなら、それは身体が必要としてるから。(こころが食べることを欲しがることもあるけれど、それは別の機会に)
身体がよろこんで受け取るということは、身体が「欲しい」と感じているから。
必要なものは、身体の感覚が知っている。
だから、身体に聞いてみる。
今日は、何を食べようか? 何を食べたい??
きょうは、梅干しが食べたくなった。
家でつけた梅干し。2年前の夏に漬けた梅。
ぞわっと酸っぱい、塩だけで漬けた昔ながらの梅干し。
ちょっぽり梅をかじりながら、麦茶をちびりちびりと飲む。
のんびりお休み中のお腹の中に、少しずつ元気が蓄えられていくような感覚。水気も塩気も、元気も。内側に少しずつたまり始める。
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今日は、何を食べようか? 何を食べたい??
身体に確認するとき、気をつけたいのは「食べない」も選べるということ。
今日は食べない。体の中は休憩したい。そんな日もある。
身体にいいからと、あたま(思考)で食べようとするより、身体やこころで食べていきたい。
必要なものは、身体が知っている。体とおはなししてみれば、身体をよく養うことができる。
からだやこころとお話ししながら、明日は夏至を迎える。
あのときの急な頭痛と吐き気は、熱中症だったのかもしれない (検査結果は、胃腸炎だったけれど)