秋だ~!ってことで、美味しいものたくさんになり嬉しい迷い、発動中。「収穫の秋、実りの秋」というくらい、冬を迎える前に今年の実りは収穫の時期を迎えている。今年も、また逢えましたねの気分でおいしいものに、うはうはしてる。
先日の福岡の会※のときには、栗のパフェを食べて来た。※福岡の会は天神や博多にて、福岡近郊のお客さまたちとグループセッションやお茶会して、たのしむ時間。春と秋、年2回開催してます。次は、春。
また、来年も。この収穫の季節に美味しい栗を食べたいな。次は、どんな栗を食べようか。ケーキもいいけど、栗ごはんもいいよな。栗だけを、ほこっと蒸して食べるのもいい。ふふふふふ。
この「ふふふふふ」が、次をたのしみに待っている、もしくは、もうすでに次がかなってる感覚。あらかじめ祝う、予祝(よしゅく)の感覚。
願いをかなえたり、うまくいったりするように自分のマインドを整えよう!ってはなしの中で、「前祝いとか、予祝(よしゅく)とか、やってみるといいよ」て聞くよね。
そのとき、だいじにしたいのは「どんな感じ」でその予祝をやっているかってこと。
一般的に予祝は、願いがかなったあとのええ感じを体感するためにやってみてる。自分がいい気分、軽い気配を保てるように、かなったときの感覚を先取りしてる。
だから、2024年のしあわせを祝う2day@オンライン。企画します。
一緒に、ビジョンを描いて、来年のしあわせを前祝いしちゃいませんか?逆向きにはならない、予祝。いろんな方の思いとお互いに共鳴しあって、うーんとおもしろくてたのしい来年になってくのを、今から祝っちゃうための2dayです。
【11/11,12/22】気も早く、2024年のしあわせを祝う2day@オンラインより
「逆向きにはならない、予祝。」とあえていったのには、わけがある。予祝をやってみても、気分を軽くするんじゃなくて重石になることもあるから。
こんなことやってみても、かなうわけないよな、とか。
どうにも、うさんくさいな、とか。
なんか、おもしろくないな、とか。
わたしが、こんな願いをもつなんておこがましい、とか。
願いが大きすぎやしないかな、とか。
不安になったり、ちょっぴりイラッとしたり、しょんぼりしたり、するかもしれない。
その気分。予祝をためすたびにやっていたとしたら、どう?
不安、イラッ、しょんぼり。などなど、気分が重くなる時間が増えていく。そっちへ意識が流されやすくなっていくんだよね。
そんなときは、予祝なんてやらなくていい。
だって、あえて予祝ってやらなくても、日常でいろいろと予祝めいたことはやってるはずなので。
何かを終えようとしたとき。「次は〇〇みたいになったらいいな、〇〇になったら嬉しいな」とほわっと、思うでしょう。その感覚を集めればいい。
わたしが、来年の栗のお菓子を楽しみに待っているみたいに、この先を楽しみにすればそれでいい。
だって、来年もまた栗が実るのは、あたり前だとわたしは感じているから。なんの疑問もなく、来年の栗はこんな風にして食べたいなと思い浮かべて、うひひひひと笑っていられる。
願いも、夢もビジョンもそんな感じ。
なんの疑問もなく、それがかなうと知っていて。その次、どうしてくれようか。うひひひひと笑ってみる。
当たり前に、なんの疑問もなく この次を待てる。
それを、たのしむ、喜ぶ。
それが、予祝の感覚。
願いのかなった来年を今から祝う「しあわせを祝う2day」、一緒に過ごしてみましょうよ。
で、一緒に。うひひひひと12月に笑うのだ。
「しあわせを祝う2day」は11/11と12/22にオンラインで開催。その詳細はリンクから。
>>https://tamurayoko.jp/archives/5577
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一緒に、うひひひひと来年の末に笑っていきましょ
(いや、ふふふふふ、のほうがかわいいかな?)
それでは、またね
田村洋子でした
追伸。
さて、これは先日の投稿にいただいたご質問への回答にもなってます。
Cさん、これでどうでしょか。イメージつきました?
メールレターへの返信機能からご質問をありがとうございました。
お手元に届いたメールレターに返信すると、わたしだけが読めるようになってます。そして、こんな感じにブログをつかって返事にさせていただいてます。どうぞよろしくお願いします。
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