思ってることの奥にある、本心を拾い上げる

新月になって旧暦はまた次のひと月を迎える。今日は旧暦文月のふつか。昨日の新月は獅子座の方向にあったから「獅子座の新月」。

獅子座の新月といわれるよりも、旧暦文月がやってきたよのほうが、わたしの中ではしっくりとくる。

それはさておき。このひと月を、どんな気分で過ごしてみようか。宇宙の世界のエネルギーの流れはこんな風。

【内にあるものを、とつとつと、出してゆく】のが今月って気分。

とつとつと出すのだから、どばーっと勢いを目指さなくていい。(結果的にどばーっと勢いついて沸いて出ることは、あるだろうけど)

「もっと自分を出していこう!もっと自由に出していいんだよ!」っていわれたら、わがままにやらなきゃいけないんじゃないか、とか。周りから見ても「自由な人」って思ってもらえるような「自由」を目指そうとしたり、とか。

いらないから!

【内にあるものを】出すの。見えてるものも、見えてないものも、自分の内にあるものを、とつとつと出す。

まだ自分で気づいていないことに、気づいて、それも使ったら、もっと「すごい、ここちいい、ごきげんな自分」になれるんじゃないか。

そう思って、思いついたんだなってことを自分でまずは、知る。そして、そこからやってみようかなと思うことをあれこれとやってみる。そんな今月。

(結果的に、自分を出すことになるし、自由になるって感じ。はじめから「自由」って枠にはまりにゆかない)

はじめてみたら何かが違う。違うという感触はあるけれど、なにが違うかわからんけれど違和感ってこともある。

それも、よくあることかもしれない。だってチューニングしてる過程だから。はじめから、ぴったりしっくりと決まる!ってことは、まれなこと。

今、自分の思ってることがほんとのはじまりの理由ではなくて、その奥に見えてない理由があるって場合は多い。

それでも、何かしら行動してみる(ことばにしてみる、動いてみるなど)ことで、しっくりきたり、違和感だったり。加減に気づいて、とつとつと「自分」になってゆく。

だってさ。「意識されてる部分は3〜5パーセント、無意識は97〜95パーセント」といわれているから、見えていない理由/隠れているものが多いのが当たり前。はじめから自分にわかるわけじゃない。

ほんとの理由は隠れてるものが多いもの、自分で気づいてない場合も多いのだから。

だけれども!
なんや動いてみたり、他の誰かに話をしていけば、意外にも。隠れている部分ってちらりちらりと見えてくるもの。

ことばになっていない”何か”というのは、形にはなってないけど、確かに内側に存在するもの。

で、その。形になってないものを形にしようとしている途中に、にじみ出るものがあり、それを周りの人は感じている。自分自身でも感じられる。

他の人に話をするときには、自分の内側にある「ことばになっていない”何か”」をことばにして、口からことばの音として出してくるから、見えてくる。

動いてみたら、なんか自分でも感じられる。しっくりや違和感などで、自分でわかる。

獅子座の新月だから、ライオンがうがーっと吠えるみたいに。自分の内側にある「何か」を外に出すのもよし。

文月だから、自分の「ことば」を文字にとつとつと書き出すのも、また、よし。

なんにせよ、自分の内側をよく見て。

【内にあるものを、とつとつと、出してゆく】

周りも関係ない。〜したほうがいいってのも、なし。ひたすらに、自分の内。

そこに、自分自身のエネルギーの根源が待っている。

そうして、自分が思っていることの、その奥にある本心を拾い上げる。

ではでは、またね

田村洋子でした

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