新しくはじめようとしていることがある。まだ、その全体像は曖昧でぼんやりしているのだけれど、パズルのピースをひとつずつ、はめ込んでいくみたいに。少しの塊ずつ、あきらかなものが見え始めている。
新しく始めようとしている。
そのとき。
これまでと、違うやり方を取ることもある。
自分の目を向ける場所を、これまでと違えることもある。
違うこと、違うものを積み上げて、どんどん、新しいものへと変わっていく。しあわせな自分自身へと、一歩ずつ近づいている。
変わっていく、その時に。しあわせに近づく、その時に。
新しい自分と、これまでの自分の間でざわめきがおきる。
ひとつ階段の段を上るたびに、見える高さが変わっていて。夢中になって階段を上がっていって、ふと我に返ってみたら、思っているより高い場所に居て足がすくんでしまうような、そんなざわめき。
新しいものを、怖いと感じる。
これはヒトを守るために出来上がった心の仕組みのうえで、あたりまえに起きること。だから、新しいものや知らないもののなかで、人はざわめきを感じる。
その、ざわめきを感じた時に。怖いからといって、階段を降りるのはもったいない。その高さを、喜ぶ。まだ先に行くと決める。しあわせな自分であることを、自分に許す。
ざわめきや不安が湧いたときは、しばらく、じっと。階段の上に立って、そこからみる景色を感じてみる。今あるしあわせを数える。
そして、その高さでもまあいけるかな。今も自分はしあわせだな、と確認できたならば、次はマイペースで。じっくりとっぷり、ひとつずつ。階段を上っていけばいい。
階段をひとつあがれば、ひとつぶん、新しい自分。
もうひとつあがれば、もうひとつぶん、新しい自分。
新しい、よりしあわせな自分へと、ひとつひとつ近づいていく。
ひとつひとつ、新しい自分をかみしめるようにして、違っていく自分を受け止める。感じ取る。深くて、こっくりした自分のしあわせを感じ入る。
感じ入った、しあわせは、いずれ自分からあふれて、周りもしあわせにする。
昨日は、自分の心のようすを再確認する機会を。
今日は、これからどうやって動くか、自分のなかを再整理する機会を。それぞれの場で持った。
自分ひとりで「ああでもない、こうでもない」と悩んでいると、動いた気分はしてもそれほど動いていないように思える。
けれど、誰か。他の人とはなしているなかで、自分自身をみてみたら、以前とは違う場所から自分を見ていることに気づく。
自分が思っていた場所と、自分が立っている場所がずれていることがわかった。だから、怖かったんだ。自分が思っていたよりも、先に進んでいたから、心もぞわぞわ、落ち着かなかったのか。
理由がわかったら、ぞわぞわ落ち着かない気分もおだやかにできる。落ち着かないまま、今の自分にあるもの・できたことを確認する。自分が望んでいた姿に、思っていたより近づけていたと喜ぶ。そして、あこがれていた自分の姿に近づいた今の自分に慣れる。
……12月の自分は、いつもこう。
しあわせになるのが怖い。
夢がかなう/ライフワークが現実のものになるのが怖い。
自分では、いくらも進んでいないような気がして、怖がっている。
けれど、現実には夢がかなっていて、それを認めるのが怖くなってる。
でも、今のわたしは、しあわせだ。もう、新しい場所に「ある」のだから。
数年前に夢見たしあわせの中に、今いる自分を認める、受け入れる、抱きしめる、感じ取る。
そして、未来に居る自分の姿(あこがれている自分自身の姿)へと、ひっぱられるみたいにして、また歩き始まる。
あこがれている自分自身の姿は、どんな姿?
何をしていて、どんな人に囲まれていて。
どんな気分で、どんな風に過ごしている?
数年後の未来に居る、しあわせな自分自身の姿へ向かってあるきはじまる。
***
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