ろうそくをともしてみたり、線香に火をつけるときくらいしか火を日常で見なくなった。キッチンでガスの炎は見るけれど、あの青い火はちょっと違う。オレンジ色のほわっとした火が好き。火を焚く機会が日常から消えているから、隙あらば火をつけたくてうずうずする。
そんな火をみる少ない機会のひとつが、送り火。お盆のはじまりと最後に、焚く火。
旧ぼんの最終日。送り火焚いて、ご先祖さまをお見送りした。
「ご先祖さま」ということば自体、口にしたり目にしたりする機会は遠くなり、お盆やお彼岸という行事の時に思い出すくらい。なので、もうちょっと頻繁にご先祖さまを思い出してみたい。
ご先祖というと遠い感じするけど。おじいちゃんおばあちゃん、そのお父さんお母さん、そのまたお父さんお母さん……
そう思えば、ご先祖さまもより近く感じられる。
それに、ご先祖さまは、遺伝子として自分のなかにいる。今の、自分の肉体を作っている遺伝子の伝え元がご先祖さま。
例えば体の外見的特徴が遺伝子で伝わるというのはわかりやすい。わたしの顔は”おもしろいくらい”祖母にそっくりらしい。その祖母は、その父に似ていたらしく……そんな感じに代々さかのぼっていけば、誰かが誰かに似た顔を引き継いで今の「自分」になっている。
それに外界の様子をキャッチするセンサーの基本形質にも遺伝子が関わってる。なので、今の自分の感じ方の癖にもご先祖さんが関わっているのかも?
脳から発するホルモンで気分が左右されたり、身体形質の特質によって聞こえてくる音の範囲が変わったり。自分が感じ取ることのできているセンサー全てが、ご先祖さんからの贈り物かもしれないと思うと、もうどきどきするよね。
親は子のしあわせを願うという。その願いが行動になるときにはたまにすれ違いもおこるけど、根っこにあるのは「しあわせでありますように」という強い思い。
遺伝子を継いで継いで、その先で今、自分が生きている。たくさんの「しあわせでありますように」を継いで今、自分が生きている。そう思ったら、もうダメだ。降参するしかない。
ご先祖さんのおかげさまで、今日も元気にやってます。
(自分だけで、何とかやってたわけじゃないんだよ。いつも誰かがそばに居たんだよ)
お盆を終えて、ご先祖さんたちはあっちの世界へ還る頃。
あっちへ戻っても見ていてくださいね
元気にやってますんで!
ぽっかりと空に浮かんだ満月を見上げながら、おじいちゃんおばあちゃん、そのおとうさんおかあさんなど想像の中で思い出してみる。
そういえば、おばあちゃんから聞いたはなしがあった。
十五夜は、空にあの世の門が開くとき。だから、十五日に送り火を焚いて見送るんだよ。
そう思って見上げた今日の満月、旧暦文月十五日の夜の月はひっそりしてて、それほど特別な感じはわいてこない。けれど、電気もなくて空の灯りが少なかった昔には、夜を照らす満月は特別な灯りだっただろう。
あの月をとおって、どれくらいのご先祖が帰ってきてて、
また帰って行くんだろう
それくらい多くの人の応援を、知らぬ間に受けてる「自分」だと思い知ろう。
…そう思うと、うじゃっとしてる場合じゃないよ。しあわせをしゃんと、選ぼう。しあわせに過ごしてほしいというのが、子孫への祈りだったはずなので。
現代の人は、強烈な刺激に慣れ過ぎている。だから、ひそやかな応援や祈りのエネルギーを感じづらくなっている。
今は、ひっそりとしか感じられない満月のひかりも、空を明るく照らしていたことだろう古代の世界。もっとひそやかなかすかな気配を、しっかり受け取れてたんじゃないかな。
今は周りが刺激的すぎて閉じておくほうが調子いいから閉じてみてるけれど、古代から持っていた感触を思い出して積極的に使うことができれば、もっとうまくまわるものが増えてくる。続いてきた思いや願いを感じ取りやすくなる。自然な自分でいることもやりやすくなる、自分自身にも周りにもやさしくあれる。ちゃんと遺伝子の中に残っている感触だから、使おうと思えば使える(今は、使っていないだけ)。
そしてもっと、しあわせになっていい。
その「しあわせ」はどんなもの?
何を叶えたい?どんな夢を持っている?
しっかりと自覚して、進む
それではまたね
田村洋子でした