昨夜に最後の忘年会。「今年を振り返り来年を思い描く」講座のあとに、そのまま忘年会になだれ込み。
忘年会に集まったのはカウンセラー仲間さんたち。だからなのか、会話の中からすべてがカウンセリングやコーチングのネタだらけ。酔い始めていても話題が、お客さまへ提供するワークの構成とか、次に予定している講座の内容とか。はなしながらワークや講座を組み立てていく辺りは何ともおもしろい。
たのしかった、ありがとうございました。
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そして、仲間たちとはなししているなかで気づいたこと。
それは、わたし自身が「相手をわかろうとする姿勢やあり方」をとっても大切にしているという事実。
(はなしをしている途中でイラッと来たお陰で気づいた、わたしのこだわりの部分。気づかせてくれてありがとう)
他の方の話をわかろうとするときに、自分自身のもっている尺度だけでは理解しきれないこともある。それを理解できないときでも、そこに自分自身の色を付けずに(判断や思考をのせずに)、もっと相手を理解したいと望み、相手のペースを感じながらおはなしをきいていく。
それが「わかろうとする姿勢やあり方」では?とわたし自身は思っている。
わたし自身ははそうかもしれないけれど、相手はそうではないかもしれないのだ。別のやり方で「相手をわかろうとする」こともある。だから、同じく「相手をわかろうとする」場合でもカタチが変わってくる。
わたしの提供したいもののカタチと、違うカタチがそこにあるとき。
そのことを判断しない。「正しい/間違っている」とか「よい/悪い」とかの判断をせずに、マイルドでフラットな感覚のままに受け取る。
違うカタチをわかろうとするときに、自分を押し付けない。
そこが、どうにも難しい。今回みたいに強い思いがあるときは特に。
だから。今も練習、いつも練習。
おはなしを聞くときには自分自身の色をできるだけのせず、相手の色をそのままに受け取れるように。精進。(もしくは、早々と撤退。別の世界軸か別の宇宙で、のんびりと)
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そして、もひとつ。おもしろいなとおもったこと。
同じ言葉からイメージする内容(概念、ビリーフ)が違っているところ。
個人セッションをしていても感じるのだけれど、一堂に集まったみなからそれぞれに聞いていくと、違うおもしろさがある。
あるひとは「そんな結婚は悲し過ぎるし、苦しい」というけれど、
あるひとは「そんな結婚だからこそ、続くしおもしろい」という。
あるひとは「子どもがいないと、気楽だ」というけれど、
あるひとは「子どもがいるから、たのしい」という。
事実は同じに存在していても、そこにのる感情は人によって違う。
それを教科書的に知っていても、現実の中で話を聞いていくとその違いが出てきてなかなかにおもしろかった。
わたしの感情はわたしのものだ。そして、相手の感情は相手のものだ。
それを知っていても、違っている様子をしっかりみるのはおもしろい。
自分以外の他の人がいるから、「自分」がよりくっきりと見えてくる。
違いを感じるから、その違いをとおして自分自身が見えてくる。違和感を感じるのも、他からの刺激があるからこそだし。
そう思うとなかなかに。ニンゲン観察はやめられぬ。
(自分観察もやめられぬ)
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まあ、そんなこんなで忘年会をたのしんで。さらなる発展やら来年の自分やらのイメージを作って、大笑いして今年もおしまい、また来年。
来年は「さらに自然体で、おもしろく。はなうたを歌ってるような日常を」。
そんな過ごし方で行こうと思っています。
ではでは、またね。田村洋子でした。
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