「考えるな、感じろ」とは、不思議な言葉だと感じてるわたし。それは、心と体のどちらでも「感じる」ことをしているから、わたしにとっては「考える」のも感じることに入るのだ。
考えること、思考を嫌がる傾向がある。
でも、嫌がるのはもったいないなといつも思う。「考える」の中に「判断・ジャッジ」を混ぜ込んであるから、嫌がることになるのかもしれない。
考えることは、自分自身の奥にある気持ちを感じようとすること。
(だから、感覚よりも思考派だと思っている方も、そんな自分を押し込めなくていいんじゃないかと思ってます)
けれど、考え過ぎると「判断・ジャッジ」が混じって来て、だんだんと自分で作った枠や檻や錘によって息苦しくなってくるとも思う。だから程よく、考える。綱渡りしている綱どうしを、ぴょんぴょんと飛び移るみたいにして考える。
ちかちかと、光がまたたくみたいに、思考をつないでいけば、判断・ジャッジが入る隙がないように感じている。
「感じる」のには、心の「感じる」もあるけれど、身体の「感じる」もある。「感じる」は瞬間的なもので、じっくりとたくさん時間をかけてひねるものではないのかもしれない。
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そして、この9月に入ってから【考えるな、感じろ】週間を実施しているところ。
とにかく、ぱっぱと。思いついたものをたどっていく。じっくりと考え過ぎたら、とたんに「普通はどうなんだろう」とか「これまでにうまくいったやりかたは」といった問いが浮かんでくる。今、ここの時に身体の感じている考えが、押しつぶされてしまう。
だから【考えるな、感じろ】。
頭でしっかり考えて。順序立ててやればできる!はずなのだけれど。
まずは、感じろ!と自分に言い聞かせる。
そうすると、何が起きるか。
私の場合は、全ての予定進行が見事に遅れていく。事前に自分が決めてたのより、かなり遅れ気味。
でも不思議なのは、その遅れが自分にとって嫌ではないところ。この「遅れ気味だと感じる」早さが、今のわたしの身体にしっくりと馴染む感覚する。
いつもは、かなり自分自身を追い立てて過ごしていたのね、と気づいた。自分の身体の持っているリズムと、周りの世界が持っている(とわたしが感じている)リズムがばらばらしていたようだ。
だから、自分の身体のリズムにあわせて動いてみた。
自分のリズムに合わせて動いてみても、不思議なことに、予定は遅れ気味なくせして、結果つじつまが合っていた。そのことに、自分で驚いた。びっくり。
感じるってすごい。つじつまは結局あうようにできている。
どうしても外したくない締め切りや約束は、守れていた。
……ということは、身体のリズムにあうだけの締切と約束をいれていくような日常を作るように心がければ、なんとかなる。
そうなれるように、仕事場や家庭でも「自分のリズム、自分のペース」を自分で知ったうえで、周りとも関わっていこう。
ということは。まず。自分の持っているリズムを知るところから。
自分の身体が何を感じているのか。自分の心が何を感じているのか。
自分自身が、ほんとうに知っているのかな? 感じられているのかな??
それにしても、これまでの日常を支えてくれてる「頭、思考」はすごいと思う。
周りのあの忙しく詰め込んだペースを、できるだけ多くの人数で走っていくために、人ひとりずつのもつリズムをひっぱって日常を整える力があるのだから!
それだけの力を持っている「頭、思考」を、皆が自分の身体のリズムを保ったままで、お互い関わっていくための手法を生むことへむけたら、どうなるんだろうか。
それぞれが、それぞれのままに調和して拡がるような、ほんものの共生がそこにできあがるような、そんな気がした。
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