「もっと、わたしをみてよ」と言い続けていた、小さなわたしがまた顔を出した。
わたしは、今のままのわたしではみてもらえない。(お母さんたち)の気に入るような、わたしでなければならない。
(お母さん)は絶対だ。完全だ、そのはずだ。
だから、間違っていることに気づいても、悪いのはわたし。わたしが、悪いから(お母さん)が間違いを作ってしまった。
だから、わたしは、たくさんの言い訳をする。(お母さん)は悪くない。まちがったのは、わたし。まちがうだけの理由を、わたしが作ってしまったのだから、(お母さん)ではなく、わたしが悪い。
それを証明するために、でたらめな、その場を乗り切るための嘘をつく。
ひとつついた、小さな嘘は次の嘘を連れてきて。本当のことを知っているわたしの心の奥が傷ついていく。たとえ私を傷つけても、それでも。(お母さん)は悪くない。完全な人間である、あなたになれないわたしが悪い。
……(お母さん)は悪くないから。わたしが悪いってみんなにいうから。だから、わたしを見て!!!!!
もし、わたしが悪いことをしたら、(お母さん)は見てくれる? 迷って迷って選んだことを、すごいねってほめてくれる? わたし、やったよ?? だから、わたしを見て!!!
外に助けを求めたい、見て欲しいと叫び続けるわたしの裏で、内側の奥へとすねてこもっていく私が出てくる。
どうせ、わたしのことなんて、どうでもいいんでしょう。見る気もないんでしょう。ほっとくんでしょう。見てもらえるだけの価値がない、小さなわたしなんて、どうでもいいんでしょう。
なにをすれば、見てもらえる? どうすれば、わかってくれる?
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この心のパターンに気づいた時は、がっくりした。この感覚は、わたしが何かを始めた後しばらくした付近で、特に出やすくなる。
相手は(お母さん)だけではない。そこには、わたしにとってのあこがれや目標や尊敬する人が入る。
例えば、仕事ぶりを尊敬していた技師長たち、〇道の心得を説いてくれた恩師、そして師匠。
新しくはじめたあとで、そのはじめたことを確認・評価してもらいたくなってきて、「わたしを見て!!」が発動するみたい。気をつけて観察していたつもりだったけれど、急な坂道を転がり落ちるみたいに、きづいたら、ぼこっとはまり込んでいた。
「わたしを、見て!」な気持ちは、とてもきゅうきゅうとして、息苦しい思い。どろどろとして、怨念がけむりになって外に出てきそう。
(この、どうしようもなく、きゅうきゅうと自分を追い込んでいく感覚。どうやら、恋愛感情にも近いものがあると。友人の書いたものを読んで、知った。小説や物語のなかに在る恋愛は、どろどろしていても、どこか形の美しさがある。現実はもっと、やるせなく苦しい感覚があるという。幸い?解離という技を使ってその感情を別次元に封印したようで。いまのわたしには恋愛でのどろどろを感じられない。)
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久しぶりに、この「わたしを見て!!!」になっている自分と対面した。ぎょっとした。
それは、先日のモニター募集のとき。モニター募集記事には価格を書いてあげるほうが親切だよ、と師匠にひとこともらったとき。
価格を書こうかどうしようか。迷っていたわたしを見つけてもらって、嬉しくなった。けれど、わかりづらい記事しか書けない私は、なんてダメな弟子なんだと、自分を責めた。
なにかを間違えないと、師匠はわたしを見てくれないから。もっとまちがってグダグダになったほうがいいんじゃないか、とか。
事実と妄想とのろいが混じりあって、心の中が意味不明のどろどろになる。自分を責めることで忙しくなり、ぐだぐだに落ち込んだ時間が数時間。
そのあと、ぽこんと。思い出した。「これ、いつもやってるグダグダだ」。このグダグダが出ているのだから、順調順調。事実は事実で、妄想とのろいは要らない。受け取り方はわたし次第。
わたしのいつもの心の癖。わりあい最終段階に近い場所から噴き出してくる。心の深さの最下層をつきぬけようとしてるから、このグダグダ出てきてる。
これまで何度もなんども、向き合っては。やりなおして。
心を確認してきて、心がどろどろに乱れる時間は短くなってきている。だから、きっと大丈夫。
そうおもえば、自分の成長が見えてくる。数日かかって、気もちを立て直した。だから、大丈夫。
レベルアップもしてきたし、装備も整えてきた。友人に助けを求める準備もある。
やっと、ラスボスな気持ち「わたしを、見て!」な気持ちと向き合える??
ゲームのように、たたかう気持ちたっぷりだったけれど。「わたしを、見て!」を感じているのは、あの幼かった頃のわたし。3歳になったくらいの、わたしだから。
たたかうよりも、一緒に遊んであげたい。本を読んで、外に出てはだしで走って、お昼寝をして。手をつないで、歌をうたって。毛布にくるまって、空を見よう。
……このやり方、全部、わたしに「お母さんがしてくれたこと」だ。
おかあさんがしてくれたことを思い出したら、泣きそうになった(というか、泣いた)。
うすうす、気づいてはいて。実感したくないと思ってきたけど。お母さんが好きすぎて、どうしようもなくなっていた自分を、実感した。
はあっとため息。肩や頭に入り込んでいた、細いうずきがゆっくりと溶けていく。
ふしぎな気持ちがした、今日のおはなし。
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▼ 「お母さん」とのこと、考えた。