わたし、自分を責めるのは得意だった。自己嫌悪は、おともだちといってもいい。もしかしたら、自己嫌悪マニアだ。落ち込むの得意で、じわじわと、自分の心の奥へともぐりこんでしまう。
けれど、浮かび上がるのも一瞬。どくどくしく、自分を責め続けることは減った。
だって、自分が「自己嫌悪マニア」だと知っているから。マニアだから、仕方ない。ついつい、やっちゃうんだ。今日は、何をしりたくて落ち込んでみたかな。自己嫌悪だしてみたんだろう。
そんな感じに、比較的のんびりと自己嫌悪とつきあっている。それが、今。
でも、頭きゅうきゅうになってる瞬間は、ダメな自分にうんざりして。いいところなんて、自分の中にみつからない。ほめるところなんか、ないんです。誰かがほめてくれても、いっこうに。ほめ言葉がじぶんの内側に届かない。自分の内側に、ほめる言葉が入るすき間がない。ダメな自分ばっかり、湧きだしてくる。
そんな頃。よくやっていたワークが「自分を責める言葉を、ほめる言葉に置き換える」こと。
【ワークのやり方】
自分のことを責めたいだけ責める。ダメな自分を具体的に、どんどんノート書いてみる。ノートに向かって、 とにかく、自分を責めて書き出す。たくさん、責めては、書き出す。
自分が書き出した責めた言葉を、ほめる言葉に変えていく。これを何度も繰り返す。
【自分を責める言葉を、ほめる言葉に変換した言葉の例】
師匠のこの記事たちがおすすめ。この変換を読むだけでも、かなりおきらくになれます。
>>自己嫌悪→長所・可能性に変換してみる(心理学ワークショップ・レポート)
>>自己嫌悪→その可能性一覧表(その2)
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自分を責めている言葉をノートに書いて、ほめ言葉に変えていく。そうしたら不思議。くるっと、何かが裏返っていくように、鮮やかに変わる!……とはいかないけれど。
じんわりと、薄皮をはぐように。自分があれほど嫌がっていた部分が、他の誰かにとっては魅力にみえることに気づいてくる。
自分が責めてしまう部分を、「まあいいか」「仕方ないな」と思えてくる。自分のことを責めても、それほど気にならなくなる。自分を責めていたことは、どこかに溶けて消えたように感じる。
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自分が嫌う部分は、周りから飛び出してしまった形。
飛び出した形は、自分の才能であり個性でもある。その才能や個性を、外に表現できなくて、心きゅうきゅうとなるから「嫌い」なことにしてるだけ。
自分の才能や魅力が、たまたま。自分を責めるという形になって、表に出てきた。
ただ、それだけのこと。そう思えば、自分を責めてしまうことも、自己嫌悪も。まあいいか。かわいらしいものだ。
自分を責めるのが得意な人は、個性豊かな人である可能性が高い。そして、自分の魅力や才能をじぶんで信じている人だ。だから、「これがわたしなんだ、まあいいか」と思えるようになれば、きっとなんとかなる。
▽問題(悩み)も、才能や魅力のあらわれだから。