水を使ったあとには、ハンドクリーム。ふろあがりにも、ハンドクリームと足にはボディクリーム。……お肌のきれいな友人の真似をして、今も塗り続けている。
かわいらしくなりたい欲は、わたしも持っていた。わたしには、「かわいらしい」のは似合わない。かわいらしいのは、わたしのキャラじゃない。と、その欲を隠していた。
でも、かわいらしいのが好きなら、それもありでいいんだな。
ハンドクリーム、ちまちま、きゅうきゅうと塗りこみながら。甘いサクランボの香りをかいでみる。かわいらしく、きゃしゃで小さな女子がつけていそうな香り。
その香りを感じながら、毎日、ハンドクリームを塗りこみながら呪文のようにとなえる。
「かわいらしいのが好きなら、それもあり。わたしにも、そういう要素がある」
毎日、言い聞かせたおかげなのか。最近はようやく。かわいらしいもの、身に着けてもまあいいか。と思えるようになってきた。きゃしゃで小さな女子には遠く、ちょっと大ぶりな体つき。それでも、かわいい要素はどこかあるだろう(たぶん)。
ずっと。「きれい」「美しさ」は、ぜいたく品で。自分より遠い場所にあると思ってきた。数年前に、ようやく。美しくなってもいいと思い始めて、少しずつ今にむかっている。
「きれい」で「美しく」なろうとしている自分も、素敵かな。そう思っている。
でも。自分が「きれい」で「美しい」のは、恥ずかしい。「かわいい」のは、もっと、恥ずかしい。
恥ずかしさを隠すため、内なるおっさんが目覚める。そこで、なぜ、内なるおばはんが目覚めないのかは、謎。
美しく、かわいらしい女性でいることを、自分自身でゆるすために、しばらく恥ずかしさとの戦いが続く。頭が理解し始めた「かわいらしさ」に、心が追いつくのを、待つ。
すべての女性の内側には「姫」がいる。瞑想で姫とつながる?
わたしは男性になりたかった。女性であると、面倒なことが多いと思ってきた。だから、自分が女性であること...