さてと。お弟子さん第2講はぶじ2日間終わって帰宅しました。今回は、帰り道に会場で飾ってあったお花をいただき、るんたったとご機嫌。このお花を見たらやる気がまた出てくる気がするのです。
たくさん、もりもりと頭に突き刺さって、脳みそがあふれるくらい自分ごとを振り返ったり、何ができるかどこからしようか考えたりした2日間。その中で、一番こころに効いたのは「依存を引き受けない」というお話。
とっても、つらくて、問題の中に埋もれていると思っている時。なんとかなりたいけれど、自分でできそうなことはもう手を尽くしている。どうしたらいいんだ。
……となるから、カウンセラーに会いに行く(ことが多い気がする)。
だれかに頼って、なんとかしてもらいたい思いが強すぎると、自分自身のもっている強さを見失ってしまう。けれど、本当は、自分自身でそのことに向かいあえるだけの力はその人自身がもっている。だから、その力があることを自分自身で自覚して、自分なりになんとかしていくしかない。
だから、カウンセラーは、その人の自身の強さや魅力を伝える。その人ならできると信じて、その人自身が頑張る姿を見続けることで応援する。その人自身でしあわせに向かえることを信頼し、見守る。
自分なりになんとかしようとしている、その人(カウンセラーに会いに来てくれた人)を応援する係になる。はい出ようとしている姿を見守る。はい出せたとき、一緒に喜ぶ。
それは本の中の登場人物を応援することに似る。本のなかにあるおはなしに手は届かないけれど、登場人物のそばに立って応援したり喜んだりするように、カウンセリングのために会いに来てくれた人のことを一歩ひいて応援したり喜んだりする。カウンセラーは、その人の持つストーリーを直接に書き換えることはできない。そのことを心する。
その、一見、冷たくつきはなしても見えるような立ち位置で、見守り応援するイメージが「依存を引き受けないで」相談をうけるということかな、と受け取った。一見、冷たいかもしれないけれど。でも、ほっとする、安心感がある。ほどよい距離のままに向き合う感覚。
歩き始めたばかりの、ちいちゃな子どもが、よれよれと歩いているのを見守るみたいに。かたわらで待つことのできるカウンセラーが「依存を引き受けない」カウンセラーかしら。……どうかなと、思いながら。
これから12月にある3講にむけて、カウンセラーとしてのわたしの形を掘り出していく時間を改めてもつ。何かしら形にしようと動きはじめつつ、活動を整える、んだよな。がんばろうっと(でもマイペースで、よし)。
今回も、二日間ありがとうございました。帰り道、寄り道、立ち話。昼休み、おやつタイムで、言葉を交わして、実習のなかで話をしあって。いろいろなことを伝えてもらえてありがとう。
すべてが、少しずつ日常にしみこんで。あしたの自分に組み替えられていく。