短いお話を毎日かいている。短いままでは発表のあてもなく、メモ書きのような書付け。メモになったもの達がいくらか集まり、長めのお話に化けたり、別のおはなしや心を探るモノコトのネタになったりしていく。
そういえば、毎日、短編を書き続けた作家さんがいたことを思い出した。作家の眉村卓さんだ。
入院中の奥さんのために、毎日、読み聞かせるための短編を書いていたという。その数、1778話。およそ5年にもわたり、毎日、1200字以上のお話を書いていた。そのうち、19編が本になっている(「妻に捧げた1778話 」(新潮新書) 眉村 卓)。
毎日、書く。その原動力になったのは、奥さんに読み聞かせたいという思いだろう。その目標があるから、せっせと書く。おはなしを読んでくれる人がたのしめるように、いろいろなことを思って書く。
わたしが書いている毎日のメモはどうだろう。何を思って書いているかな。誰に向けて書いているかな。
今は、自分ごと、自分のために書いている。自分がたのしくなるように、自分が覚えておけるように。ただ、それだけのために書く。または、おはなしの中に閉じこめられているモノコト達が、言葉になって表にでてこれるようにと書く。
でも、これが自然と外側へ向くときが来るのかな。こういう人に読んでもらいたいといった相手を、具体的に思えるときが来るのかな。
思いのベクトルが外へと向かうには、まだまだ。私は自分の内側探ることに忙しそう。現実を暮らしている自分の内側とファンタジーな世界とを行ったり来たりしながら、心のありかを探っていく。
毎日、書く。それは、今のところできている。自分のなかにあったものが、形ある文字になって表に出てくる。
見えないものが、見える形になってあらわれたあと、たくさんの人に見てほしかったら、どうしよう。 書いたもの達が表に出るには、他の人の目にふれるブログ、SNSなどに書かないと。
そのとき、私の原動力になる思いは、何だろう? 自分で知っておくと続けられる。
誰に向けて書いているのだろう? 書くときに、だれを向いているかを意識できてるかな。
ふわっと、もやっとした感覚をそのままに書いているから「書きたいから書く」としか言えない。その理由を自分なりにみつけると、毎日の「書く」がするりと日常に存在できるかもしれない。