宿題を提出する直前の数日が、どきどきする。謎の試行ループにはまってしまうから苦手だ。
出すならば、いいもの出したいね。と思っているからか、どんどんと完成品のしあがりイメージが高品質になっていく。自分が完成できる(と思っている)品質よりも、離れたものになってくる。
そして、宿題に手を付けるのが嫌になってくる。
でも、宿題は提出したい。
でも、おもっている品質のものは作りたい。
でも、その品質に仕上げる自信はない。
でも、宿題は提出したい……という謎ループにはまる。
これが、完ぺき主義というものなのね。
0か1か。ないのか、あるのか。白か黒か。
あいまいに、グラデーションをもつ答えを持たない。それが完ぺき主義。
最近ようやく気付いた、完ぺき主義への対処法がある。
それは「とりあえずやってみること」。
とりあえずやってみる。
品質も、期限も。ぜんぶ、うっちゃっておいて、とりあえず着手してみる。
何も手をつけなければ、ゼロの地点にたつこともできない。そして、もやもやと悩みがわいたり、心臓に悪いようなきゅっとする圧迫感が出てきたりもする。
とりあえずはじめてみれば、自分がはじめるまえに心配していたほどはひどくならない、とわかる。少しずつ、完成品へと近づいていく。
気づいたら、出来上がっていた。とか。おもっていたより、うまくいったと感じることもある。
自分が心配していたとおりのことが起きたなら、「はじめる前にわかったわたし、すごいぞ」とほめてみる。
はじめる前に、あれだけ心配してみたのだから。その対処法だってみつけられる。そう信じてやってみる。
動いていくうちに、完ぺき主義は溶けてくる。うっすら消えて、こころのどこかに静まる。
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ありがたいことに、以前勤務していた会社の方から、ちょっとした調べものを頼まれた。
締切はあるけれど、提出する様式は決まっていなかった。
調べものを始めたら、はじめにお互いで思っていたよりも内容が多くなった。
分量が増えた分だけ、とりまとめに時間がかかる。でも、これはまとめきっておきたい。
どうやって、この量をまとめよう?
わかりやすくするには、どうすればいい?
よき案を思いつくまでは、提出物をつくれない。
資料の束、データの数々を前にして、うんうん悩んではみたけれど、良き案を自分では思いつけず。
わたしには原稿が書けない。
どきどきと緊張し、とりまとめの方針も決められず。もんもんとして、まったく原稿に手を付けられなかった。
でも「原稿が書けない」というのは、わたしの気のせいだった。
締切が近くなってきたから、仕方なく原稿を作り始めたら、いつのまにか原稿案が仕上がっていた。あとは、最終チェックをしながら提出原稿をつくるだけ。
書けない。
方針を決められない。
そのままだと、なにも変わらない。変えられない。
仕上げられなくてもいいか。
方針は決めきれてないけれど、まあしょうがない。
とりあえず、書いてみるか。
「とりあえず」はじめてみたら、いつのまにかできた。
そして、知った。
「とりあえず、やってごらん」と先輩やお師匠さんたちがいってたのはこれだったのか。
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悩んで、動けない時。完ぺき主義がでてきてるなと自分でわかった時。
そのときは、とりあえずやってみる。
いろいろな人から教えてもらう対処法だったけど、ようやく実感できた気がした。