力を抜いて、余力を感じる=休む

3月になると、あたたかい日も増えるけど寒い日もあり。身体がソワソワ、落ち着かぬ。心もソワソワ、微妙に浮いてくる。

季節の変わり目は、自律神経が不安定になりやすい時期。冬から春へと変わる時期には特に、その傾向あり。(春にソワソワ、落ち着かない感じも、微妙に浮いた感じするのも仕方ない)

そのソワソワした気分のままに向かえる3月は、年度区切りの仕事をもっているなら、繁忙期も佳境に突入!……そんな時期。

「ここで体調でも崩したら、ちゃんと休めるんじゃないかな」と、10年前のわたしの投稿を先日、みつけた。

その頃のわたしにとって「休み」は、体調を崩したときにだけ許されるもの。
休むことが許されるのは、周りから見て「仕方がないね。休んでもいいよ」と思ってもらえる、合法的な(?)理由があるときだけ。

今思うと、10年前のわたしは、かなり気を張り詰めた状況で。自分を追い込んで。
身体も心も、がちがちに力んで、こわばらせて。目いっぱい、自分の力を発揮しようと頑張りすぎてたみたい。
これしかない!と仕事に執着して、仕事の中に自分の居場所を見つけようとしてた。仕事での評価そのものが、自分の評価であると思ってた。

力んでるときって不思議なもので、休むことは悪だ!と思ってる。
休むことは悪だ!と思ってるときは、不必要に力んでいるときだともいえる。

「もっと、ちゃんとせねば。お役に立てない」と思って、自分に無理をする。
「まだまだ自分は力不足だ」とかいった思いが強く、自分から休んでみようと思えない。

そんなときこそ、ふっと。力を抜いてみるときを作る。
力を抜いたら、ここまで自分が自分に課してきた無理の大きさに気づく。こわばってる間には気づけなかった余力のありかが見えてくる。余力を感じられる。

余力が戻ったら、またはじめる。
今度は、違うやり方を選ぶもよし。同じやり方で休憩の取り方を変えるのもよし。
余力を取り戻す時間をとりながら、またはじめる。

力んでる時間を減らして、元気な自分でおもしろがれるように。
追い詰められて頑張るのではなく、おもしろく没頭できるように。

「休み」がないって状態は、ぱきっと固くこわばってる状態と似てる。余力がないから、あそびもない。

固くこわばってあそびがないと、外からの衝撃に対してもろくなる。
これまでの刺激が何倍にも強く感じられるか。
一時的に刺激を麻痺させて、そのダメージを自分に蓄積していくか。

だから、「休みたい」と思うときは、そろそろ身体の限界が来てるよとお知らせが来てるとき。

少しの時間だとしても、休む。
気分転換を試みる。忙しさのあと、何をしたいかの妄想をして、それをたのしみに気張る。

「休みたい」と思うのは、今、やっていることがおもしろくないからだ、とか。
自分に無理をさせてるからだ、とか言われるけど、それだけでもない。

たのしいこと、おもしろいことをしていたとしても、休みたくなるときは来る。

没頭していて、何か夢中になってるときでさえ、その時間を過ぎたら身体に無理が来る。たのしく、おもしろく過ごしていたら疲れない。というのは、一時的なもの。

身体に無理が来ると、心にも無理が来る。だから、ときどきは休む。無理をする時期があってもいいけど、休む時ももつ。

自分自身が納得いくように、没頭するときと休んでみるときとのバランスをどう持つのか。
そのさじ加減をたのしむ。おもしろがる。

バランスをとるときに、しなやかさを持っていると、強い。こわばって固いままだと、ぱきっと折れる。

自分で自分の機嫌を観察し、どんな気分で過ごしたいかを知り、その気分を選ぼうとする。
または、自分にとっての本音のままの気分を自覚し、どの気分を外へと表現するかを選ぶ。

……それを選んで行ける余力を自分に持ちたい。

かつて、繁忙期の忙しさに飲み込まれていたわたしも、今は、休むのもうまくなった。季節によって起こる自分自身のゆらぎを前もって知って、ゆらぎながらも姿勢を保つことができるようになってきた。

自然界はゆれるもの。

だから、かっちり。きれいに区切られたみたいに。整然とは生きられない。
ゆらぎながら。その、ゆらぎの中で生きていく。

そう知っておけば、たいてい、なんとかなる。

今の自分が、どう揺れているのか。

忙しさでキーっといらつく時期があっても、その反動でやる気が消え失せる時期があっても。
時間的に長い目で見て行けば、自分のエネルギーはなんとなくこれくらい。という平均されたような範囲が見える。

(「なんとなくこれくらい」と自分に制限をかけ、ちっぽけになってしまうのも考えものだけれど……)

休もうと思っても、休めないんだよ!と思うときもあるかもしれない。
休み……それ、どんなの?みたいに、休み方がわからぬときもあるかもしれない。

そんなときは、自然界へ意識を向ける。外の世界へ自分を開く。

木々の緑を、じっとみつめる。
吹いてくる風を、皮膚で感じる。
遠くに動いていく、白い雲が流れ形が変わっていくさまを観察する。
などなど

ぼーっと。外の世界を感じている自分がいるって様子を、外の自分の目からながめる。

自然界へ意識を向けて、その様子を感じ取れるくらいに自分のエネルギーの余力が戻ってきたら、自分自身の内側にあるエネルギーを感じる力も戻ってくる。

それが、休みをはさむことにつながる。ここまでかけてきた余分の力がゆるみ、余力が戻る。

>>意識的に、ぼーっとする。その効用
https://tamurayoko.jp/archives/5393

それでは、またね
田村洋子でした。

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https://tamurayoko.jp/archives/5794

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田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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