「時間」から自由になる。時計軸から自分軸へ

最近の気分は、わりと。のんびりしてるのだけれど、それなりに人と会う予定は詰まってる。以前だったら「忙しい」と言っているだろうなと思える状況なんだけれども、のんびり感がまだ残ってる今が不思議。

わたしだけ1日が24時間以上に増えたはずもないのに、なんでだろね。

それもこれも、時計軸というか時間軸(?)から自分軸へ舵を切れたから。自分で時間を創ってるって意識を持つようになったから。

日常の中で「時間がない」とか「忙しい」というとき。自分の頭の中は「時間が足りない」という考えで満たされてきて、自分が日常で感じていることは頭の隅っこへ追いやられがちになる。自分自身の気分が、時間に左右されるような感覚になる。

自分軸じゃなくて、時計軸というか時間軸の奴隷になってしまってる。

人は目に触れやすいもの、何度も目に留めるモノへ意識が向かう。「時間」ってずっと続いていて、特にこれといった目印がない。時計を見たりカレンダーを見たりして、人は時間をはかっている。

だから何度も時計を見たりカレンダーに目をやり続けると「時間」に意識が向かう。だから、時間軸になりやすい。時間に振り回されやすくなる。

そう思うと、時間って不思議。
形はないのに、時計やカレンダーって形で人をからめとろうとしてくる。

そう思うのは今日が7月25日、13の月の暦(いわゆるマヤ暦)でいうところの「時間をはずした日」だからかもしれない。

「時間をはずした日」は、ルーチン的に続いてきた時間から自由になる、開放で祝いの日だという。

だから、ちょっと想像してみたい。もしも「時間」の外にいるならば、今、何が見えるだろう。

時間から自由になっている自分を想像してみよう。時計軸というか時間軸ではなく、自分軸で日常を過ごしてみるなら、どんな暮らしをしているかな。

時間は、自分の命であり、自分の生き方でもある。

時間は自分の命で生き方だとしたら、時間の使いみちも選り好みしたい。どうせ使う時間ならば、自分の「好き、ごきげん、しっくり」感じるモノコトに時間を使っていこう。

何に、時間を使いましょう?
何に、命を使いましょう?

そして、時間を外した日の翌日から、13の月の暦では新しい年を迎える。そう思うと、今日は13の月の暦(マヤ暦)での大晦日のような位置づけ。

13月を終えて
次の1月へと、つながる日

グレゴリオ暦での大晦日に除夜の鐘を聞きながら、一年を振り返ってみるように。翌日からの新年の訪れを祝うように。

この1年を振り返りつつ、この先を言祝ぐ。

そうやって何度も、新年を迎えるように気分を改めて。自分のビジョンを描きなおす。
そうすると、自分がどこへ向かうのか。
命の使いみち、使命が自分の後ろに見えてくる。

それでは、またね
お告げ師でカウンセラー 田村洋子でした

●マヤ文明ってメキシコにあったんだって
>>古代メキシコ展へいってきたよ

●ほんとうの時間は時計みたいに区切られてない
>>時の記念日6/10に、時間について考えた

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田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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