「間引く」ことを意識して過ごす

久しぶりに東北新幹線に乗った。都内から乗り、じっとながめる窓の外は、ビルの群れからみどりの混じる景色へ。

ビルや建物の集まるエリアとエリアの間には、ひとつひとつが広めの田んぼやリンゴの木の植わる畑がぱらぱらと出て来た。

6月も半ばになると、東北も夏の気配する。空も緑も、あおがいっそう濃い。

祓いの季節のはじまりに、「じぶんを生きるってこんな感じなのかなぁ」と考えはじめたきっかけと出会った土地で。20年ほど経った今、グループセラピーについての学習の機会をもってることを不思議に思う。

初心にかえることを思い出し、わたしも生まれ変わり、再起動、再編集。ひとつ、足を進めたように感じた。

リンゴの木のある景色と青い空

そして暦も、ひとつ。数を進めた。旧暦五月となった。

旧暦五月は夏。田んぼの青々としてゆく季節。稲のすき間の草を抜いたり、畑にどばーっと種を蒔き、ものを育てる時。
そして、間引く時でもある。

蒔いた種から芽吹いてきたもの、その全てを育ててもいいのだけれど、そうすると芽たちは密集してるから、全てがひょろひょろにか細く育ってしまう。

しっかり育てるために、いくらか、芽を選んで。程よきバランスに芽吹きを残す。

どれが目的としている作物の芽なのか。
どの芽の元気がよさそうか。
どこにある芽が、全体を見てバランスのよい場にあるか。

芽吹いてる畑のなか全体を、くるりと眺めて。じっくりじっくり、残す芽を選び、外す芽を抜いてとる。

人の生き方も、それに似てる。

自分という畑全体に、何を植えるか。
今、何が芽吹いてきていて、どの芽を残すのか。
どこの場で、その芽を育てるのか。

くるりと、自分の全体を眺めて、残すものを選び、残さないものは取る。
収穫の時をイメージできてるから、間引いてゆける。

自分という畑の収穫は、なんだろう。

自分は、どんな夢を持ってる?
何を、世界と分かち合える自分でいたい?

そのイメージはわいてくるだろうか。

何をかなえたくて、どんな世界を生きたくて、誰と笑って過ごしていたい?

ビジョンのかなった先の世界をしっかりと、自分に確認する。

そんな風に、収穫したいもののイメージを持って、今を間引く。収穫のイメージにつながらないものを、間引く。

何をやめる? 何を減らす?

足すことは意識しない(とりあえず、今のところは)。
減らすことを意識する。

今、目の前にある現実の日常のなか。自分自身に「ある」ものを再確認して、自分自身の夢のかなった先の世界にふさわしきものだけを、さらにしっかり育てるために、かなった先の世界にふさわしからぬものを減らす、やめる。間引く。

「間引く」を意識したいとき。

全体を俯瞰し自らの内と対話する。

どれを残し、どれを育てる? どんな収穫を得たい?何を分かち合う?

ちょいと時間かけ、じっくりと選んでみる。「間引く」には慌てすぎない、見定める

田村洋子Twitterより

ここから季節は夏になる。選んだ芽はぐんぐん伸びる。ぐんぐん育つ。

収穫の時をたのしみに、元気に過ごす。

それではまたね 田村洋子でした

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