「覚悟」ってなに? それ必要かな

先日、カウンセラー仲間とごはんを食べた時にも。お茶会でコーチ仲間と話したときも。複数人から「最近、覚悟のはなしをよくしている気がする」と聞くことになり……そういえば、わたしもそうだなと思い出す。

どんな時に「覚悟」の話を聞くか?
 思考では他のことをはじめたいのに、心/感情がついてこないときに「覚悟」という語を聞くように思う。

そして、「覚悟」を口にしたり耳にしたりするのは、11~1月や3~4月のスタートを目前に控えたころが多い。はじめたい!と思っている心の奥が、ざわめいて。覚悟を決めたくなるんだろな。

何かモノコトを、はじめたいのにはじめられないと困りごとが深まってきて、聞く機会が増えるんだろう。

「わたしには、まだ。その覚悟がないんです(だから、できないの)」って話を聞くたびに、その覚悟ってなあに?と確認したくなってる。その確認は、良い悪いの判断のためではなく。そのことば(語)にのせている意味合いや概念を知りたいから。

「覚悟」とひとことで言ったとしても、それに持たせる意味も重みも全然違ってる。

それは。人によってそのことばに感じる思いも経験も記憶も違っているから。どうしてもエネルギーの重みが違ってくる。重みの違いは、その方の今のエネルギーの使いどころを知るうえでとても分かりやすいヒントになっていく。

でね。周りからこれほど「覚悟」とか「決める」とか、耳にする機会が増えてきたなら、わたし自身も。今ここで「覚悟」を考えてみない?っていうタイミングなのかもしれない。

なので、わたしの思う「覚悟」について、再確認してみた。

覚悟とは「今の自分エネルギーを、何に、どれくらい注いでいるかを、自分で知って、どうするか決めること」だと、わたしは思ってる。

だから、0か100かみたいな、どちらか一方を選びきるような(それ以外を完全に捨て去るような、辞めてしまうような)ことだけが覚悟ではない。

カウンセラーとしてやるなら「カウンセラーになる」として、そこに時間も意思も集中させる方が効率がいい。今やっているもののうち、何かをやめるなどして創り出した時間と意思を「カウンセラーになる」ことにむける。それが「カウンセラーになる」という覚悟。

「ひとつに決めることが覚悟だとしたら」田村洋子ブログより

もし。ひとつに決めることが覚悟だとしたら。0か100かのように、何かを選んだらもう一つはもう選ばないってな状態になるかもしれない。
そうすることで、集中が生まれて効率よくじぶんエネルギーを注げるとしても、わたしにとってその「覚悟」はしんどい。
0か100か、白か黒か!みたいな選び方だけが覚悟だと、後戻りできない感じが強くて動きづらい、足が出づらい。

ひとつに決めることが覚悟ならば、今のわたしは。何かのモノコトひとつだけを選びきる覚悟のないままで、今の自分の気持ちや願いを確認しながらゆらゆら心揺れつつ、やりたいことをやって、やらないことをやめようとしてみてる。

「覚悟のないままでいる」という覚悟をしてるんだと思う。
(状態を説明しようとすると、ややこしいね)

ややこしくなったと思ったら、すぐ辞書をひいてみるわたし。
「覚悟を決める」というときの覚悟の意味を辞書で調べてみた。

覚悟=心構えをすること。困難や危険などの悪いことを予想して、それを受け止める心構えをすること。

辞書の意味では、そういった意味らしい。漢字の意味で見るならば「覚=気づく。知る」「悟=さとる。迷いから抜ける」

こういった意味が「覚悟」なら、わたしの覚悟は「揺れている状態の中で最善の自分でい続ける」ことだ。何に自分のエネルギーを注いでいるかを自覚して、その状態をよりよくしようと頑張るぞと決めるのが覚悟だと思ってる。

だから、ただひとつだけにしない。白黒を決めすぎないってのを、わたしは覚悟してる。

「覚悟」を「決心」と言い換えたらわかりやすいかもしれない。

決心しても、その内容は変わるものだし、変えていい。
決心できないから何も行動できないってことはなく、今できるなかで何か動いてみてると思う。

だとしたら、覚悟も同じ。

覚悟しても、その内容は変わるものだし、変えていい。
覚悟できないから何も行動できないってことはなく、今できるものを何か動けるはず。

「覚悟しました!」といえたら、かっこいいなと思う。覚悟のあるときの方が、ぱつっと硬質で収束されたエネルギーを発するから、モノコトの動いていく早さは確かに変わる。

でも、覚悟して。くっきりぱっきり変化しなくても、じわじわとエネルギーを注いでやって、いつの間にか変化していくのもありじゃないかな。

ぱつっとくっきり変化をしたら、そのギャップが大きい分だけ揺れ戻しも大きい。高低差の恐ろしく大きなエネルギーが揺れ動く波をどうのりこなすか。エネルギー的な筋力が必要になる。

じわじわ変化をした時は、変化の実感を持ちづらいけれど、エネルギー的な筋力が自然とついていく中で変わってゆける。

だから。覚悟もたないまま、じわじわと変化しようと決めてるわたしは「覚悟のないまま」あれこれとやってみてるのでした。

……というか。
「覚悟ってなんだろう?」と聞いたり話したりする機会が増えたので、書いてみたけど。

覚悟って要らないよね。というのが、わたしの今おもってること。考えるほどにわからなくなるなら、覚悟なんてないままでもよくない?

改まってやればやるほど不自然なエネルギー的重みが増すので、停滞してる感覚に日常を支配されやすくなるような気がしてる。

じゃあ結局、今回、「覚悟」について考えて書いてみたのはなんなんだ?という気もするのだけれど。
わたし自身が「覚悟」を動かない言い訳に使っていたかもなと気づいたので、よし。

覚悟ってどんな意味だと、自分で決めている?
自分の持ってる覚悟ってどんなのあるんだろう?

きっと、人の数だけ覚悟があって、覚悟ってことばに持たせてる意味も違ってる。

迷うのは、やめられないんだし。
迷いながらでも、何かしら試してゆければ、それでいいや。

さあ、なにしようかな、なにやめようかな。
だから、わたしは覚悟をしない(と今のところ思ってる)

それでは、またね
素敵な一日になりますように

田村洋子でした

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田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
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●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

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