1年前のことが、とっても、かなり。ずいぶんと前に感じられ。感じ方次第で、どんなものにも形を変えるのだなとしみじみしてる。「時間は創造だ(Time is art)」という語を思い出して、どきどきとおもしろくなっている。
地球に住んでいて、同じように時間を過ごしたら。機械で測ることのできる時間は24時間。
皆等しく24時間を持っているのに、その24時間の過ごし方や感じ方はそれぞれに違っていておもしろい。
時間の過ごし方や感じ方の違いが、その人の人生。生き方。
自分はどんな時間の過ごし方をしたいか。
その時間を、どんな風に感じたいか。
そのとき、誰と一緒にいたいか。
自分自身で決めて過ごしていくのが「時間は創造」ってこと(と、今のわたしは思っている)。人ひとりずつ、違う作品が仕上がっていく。
*
その作品を創ってる途中に、お困りごとや問題が湧いてくることもある。その理由は、「自分自身で、そのモノコトを選んだのに、自分で選んだことを忘れてしまう」からじゃないかと思ってる。
今、それを。どうして選んだ?
どうなりたくて、どうしたくて。それを選んだ?
選んだ時に、損得勘定はあったかな。
(損得勘定がダメってわけじゃなくて、損得勘定で選んだから自分の気持ちは脇に置いたってことを覚えておこうよというおはなし)
周りに気を使って、飲み込んだ気持ちはどうだろか。
(自動的に自分の気持ちを飲み込んでたら、自分がどんな気持ちだったかに気づきづらくなる。そして、だんだんと、自分自身の思いや考えに鈍感に/無頓着になってゆく。そうしたら、待っているのは味気ない灰色の世界)
自分ではないものを選んで先に進んでいくうちに、自分自身の軸から離れてしまって、自分の色が消えていく。そして、いつの間にか、灰色。
今でこそ、わたしは私で「自分の時間を何に使おう、どうして過ごそう」と選んでゆける。
けれど、かつてのわたしは、そうでなかった。
気を使って、自分の気持ちを飲み込み。
あっちのほうが正解っぽいぞと、自分の意思をねじ伏せ。
まわりの雰囲気をうまくまわしたくて、言いたいことを飲み込んで。
そうするうちに、世界から色が消えた。「灰色の世界になった」と慣用句があるけれど、ほんとに視界がグレーになって驚いた。
何を選べばよかったんだっけ?
何も選ぶ気になれないし、どれを選んでもどうでもよかった。
(どれを選んでも、自分って軸からは遠かったから。時間がたつにつれて、元の自分もわからなくなった)
あんなに大好きだった食べることも、しんどくなった。灰色の世界では、ものを食べても味がしない。食べものが口に入っている触感だけが伝わってくるのに、味がない。どうにも気色悪くて食べなくなった。体重が10キロ減った。
食べないと身体が保てないから、無理して食べるけどお腹の膨れる感覚がわからなくて、食べる作業をするうちに食べる量が増えすぎた。体重は元の重さを通り越して15キロ増(減った時の体重からは25キロ増やしたことになる!)。
身体が、もう無理だとわたしに教えてくれるまで、必死に、自分の気持ちを飲み込んできた(ことに気づいてなかった)。
灰色の世界から抜け出したくて、それからは、せっせと自分に聞き取り。
わたしは、私。
わたしの、好きなことは? 嫌いなことは?
その気持ちは、ほんとう? わたし自身の気持ち?
……もう尋問に近かったかもしれない。それくらい、しつこく。自分に向けて、自分のことを聞き取る。自分で自分と、はなしをしてみる。
だんだんと。10年近くかかって、自分の気持ちを知ることに慣れてきて、自分に向けての尋問は、今ではそれほどやってない。ちょっと自分の気持ちをきいてみよか、くらいのマイルドな聞き方。
そうして、自分の気持ちを自分自身で知って。自分にとって好ましい時間を使って、今のわたしは生きている。
どんな生き方を創造していく?
どんな生き方をしてゆきたい?
自分で自分を創っていけることは、ほんとにおもしろくて、たのしい。
(どんなドラマが待ってるとしても)
だって、それは自分の世界を創っていくことだから。そのたのしみは、この地球を遊ぶことにもつながる。
*
感じ方の違い、時間の過ごし方を見ていくと、自分の生き方が見えてくる。
自分はどんな時間の過ごし方をしたいか。
その時間を、どんな風に感じたいか。
そのとき、誰と一緒にいたいか。
その決め方は、あなた次第。自分の生き方なんだから、自分で決めていい。その決める作業が、創ること。
あなたは、時間をどんな風に使ってる? 何に時間をかけている?
時間をかけているモノコトの多さを見れば、今の自分が大事にしているもの、命をかけているもの、生き方が見えてくる。
その生き方(何を選ぶか、その選択)は、自分で決めたこと。勝手に、自動操縦でもするみたいに、慣れ親しんだ自分のやり方で、もう決めているから「答え」が自分の中では既にあるといってもいいかもしれない。自分の世界を創るうえでの完成形を、もう自分で知っている。
いつでも、ちゃあんと自分の中に完成形をもっている。
自分が求めている答えがあって。ほんとの「自分」と思うものも、ちゃんと内側で待っていてくれる。
そこへ向かって掘り進んでいくように、自分にむかって問いかけていくと、いつかはまるごと応えてくれる。
だから、きっと。大丈夫。
それでは、またね
田村洋子でした
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