悲しみは悲しみのままに、ただほどけるのを待つ

失った悲しみ、傷ついたことによる悲しみ。いろいろな悲しみを味わうときがある。悲しみは無理をして乗り越えなくていい。

悲しいことがあったとき、人は励ますためにいろいろな言葉をかけてくれる。悲しんだままでは先に行けないという人もある。それでも、悲しみは悲しんでいるその人のもの。

わたしは、悲しい。
ほかの誰でもなく、わたしが悲しい。だから、それでいい。

「悲しみを乗り越えて、進む」と考えると、悲しみを”わるいもの”だと判断しがちになる。悲しみは、ただの悲しみ。よいものでもわるいものでもなく、ただ悲しい。

だから、悲しみを乗り越えない。ほどけていく、溶けていくのをただ、待つ。

悲しくても、私たちは生きていく。悲しみがあると知ったうえで、悲しみを抱きしめたままに歩いていく。

悲しみを前向きにとらえるための言葉はたくさん用意されている。けれども、悲しみの真ん中で傷ついているとき、その言葉たちは自分自身の胸のうちには届かない。届かないなら、無理に前向きな言葉を届けなくていい。

時々、思い出して悲しくなる、苦しくなる。それでも、その悲しみも苦しみも、自分の愛がそこにあった証。大切な思い。悲しいことが、いつか、自分の中に溶け、とりこまれる。そのときには、きっと愛のかたちで残る。だから、そのときが来るまで、悲しみを抱きしめたまま、日常へと戻る。

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