亡くした季節を思い出して。自分の記憶の一部を記録

五月はとってもあかるくて、みどりも元気よく、生きる力が世界にあふれている。それなのに、大切な人を亡くした季節でもある。5月のおわりになると、あのころの感情の動きを思い出し、どことなく神妙な気分。

今年も、また。静かに亡くした人たちを思い出して、なつかしむ。そのなかで思い出した「死別の悲しみ」への向き合い方と、自分の記憶を記録した。

生きる強さを感じる分、影も濃く感じる

大切な人を亡くしたばかりのころ。

他の人からは「大切な人を見送ったのだから、悲しいでしょう」と声をかけられる。

けれど、ごめんなさい。わたしは、まだ悲しくないのです。悲しくないというのは強がりでもなく、現実を見ていないからでもない。ただ、無感覚がそこにあるだけ。

無感覚は、感覚がないということ。感覚がないから、悲しいとも浮かんでこない。からっぽの空間ができたともわからない。ぼんやりと夢のなかのような、あいまいな感覚。

悲しいと思えない自分は、人間として欠陥品ではないかと思う。薄情なのではないかとも思う。でも、今。感情が動いていないのは事実だ。自然と悲しくなる時まで、ぽかんと感情を待ってみる。

周囲が「悲しいでしょう」というからといって、悲しいふりをしなくていい。
ただ、ゆっくりと。亡くした人を思い出し、自分の感情を探る。

そして、悲しくなったなら、思いっ切り悲しめばいい。自分が望む強さで、望むだけの期間、悲しむといい。

ひとりで悲しいと、なかなかしんどくなっていく。あの頃、友人なり家族なり、だれか話を聞いてくれる人が欲しかった。近くで並んで座ってくれるような感覚のだれかがいてくれたなら、心強く思えただろうな、と今ふりかえる。

/*無感覚から感情がではじめた時期によりそってくれる作品
「きみがいない」(nobukoさん作の絵本動画)

亡くした人を見送ってから半年、1年……とすこしずつ時間が過ぎて。

周りの人たちは、悲しんでいる気持ちをわたしから取り上げようとする。「悲しむ」期間を区切り、いつまでも悲しむことをよしとしてくれない。「悲しむのは亡くした人のためにならない」など、言い始まる。

それは、あなたを元気づけようと、励まそうとしてくれている言葉。元気づけたいと願ってくれる気持ちは受け取りたい。けれど、悲しむ期間を決めるのは自分自身だ。

人を亡くしたら、そのできごとは時間の流れから切り離されるように、わたしは思う。いつでも、そのときに戻れるし。いつでも、そのときを見ないようにできる。だから、悲しみのカプセルをこころの奥に抱きしめたまま、日々を過ごす。

自分なりに感情に決着をつけたくて、カプセルにした気持ちをこころの奥に詰めたままで、山を歩いた。その時、お寺の空間の中で見てきた供養の意味が、ちょっとだけわかったように思った。

亡くした人への気持ちを詰めたカプセルは、時間がたつと色が薄くなる。少しずつ、こころの中に溶けていく。いつかは悲しさもほどけて、自分の一部になる。わたしは、そう思っている。

だから、無理をして、悲しみを手放さなくていい。自分の気が済むまで、こころの中で抱きしめていればいい。

周囲は「大切な人を亡くしたのだから、悲しいはずだ」「その人を思い出したら、悲しくなってしまうだろう」と気づかってくれる。けれど、わたしの内にある感情は悲しみだけではなかった。

人を亡くすことは悲しいだけでなく、怒りも湧いてきた。自分のことも責めた。

「どうして亡くなってしまったのか」と、亡くなった人を責めて怒るときもあった。亡くなった人の気持ちをくみ取れなかったと、自分を責めているときもあった。自分にもっと何かができたのではないかと悩みもした。

怒ったり自分を責めたりして、悲しめない自分はおかしいんじゃないかと思ったときもあった。

たくさん思い悩んで、悲しくなったり、怒ってみたり、自分を責めたり。どろどろと暗くて重い感情をこねくりまわして。悲しいことも思い出して。それでも、自分は生きていて、笑っていることに申し訳なく感じるときもあった。

でも、それもいいんだ。何を感じていてもいいんだ。自然な感情が、自分の内で動き始めた証拠だから。

だから、大丈夫。いずれは、こころの落ち着き先が見つかる。感情も日常を取り戻す。

10年以上たった今は、時間が過ぎたおかげで、悲しさはぼんやりとしてきた。たのしかったり嬉しかったりしたことも思い出して。少しずつ、こころのどこかに、亡くした人と過ごした記憶や感情の落ち着き先がみつかっていく。

……やわらかな緑をみて、強くなりつつある日差しを感じた5月。「亡くした人」へむけていた気持ちのうつりかわりを思い出したので、記録してみた。

悲しくても、悲しくなくても。怒っていても、申し訳なく思っても。何を感じていても、大丈夫。いつかは、こころの落ち着き先が見つかる。それまで、いろんな気持ちを感じながら待つ。

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田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
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●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

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