何かしらの目標を持って集まってきた人たちが、ぐぐっと意識の奥へと入りこんでいく力に、改めて驚いていた、この週末。
ひとつの「場」に向けて、人たちが意識を集めて、共に時間を過ごして。
こういった感じでいられるといいのに、とか。
もっと、こんな風になりたい、とか。
よりよい形を目指して、何かしらの目標をみつめてみたら、思いのほか、大きなうねりが自分を包む。その「場」に居あわせた人たちも、巻き取られるようにして、意識の変化をたどりはじまる。
自分ではそれだと意識をしていなくても、現実のモノコトが突然のように、かつかつとかみ合って、動き始まるきっかけができたり。勢いついて成長していく「点」の時間になったりもする。
人と人とが集まって、ひとつのモノコト/目標に向かう力は、とってもパワフル!
そのエネルギーに、しみじみと感じ入って、うっとりとする。
今、ここ。この日には、まだ形は見えていないかもしれない。
でも、見えていない部分からモノコトは動き始めている。
形が、しばらくは自分で感じられないかもしれない。でも、確実に動いているから、きっと、いずれは形になる。
自分でも形の存在を感じるようになった頃には、自分の後ろに形が見えている。自分以外の誰かが、その形をみつけてくれる。
そして、はじめに思っていた何かしらの目標がもう、形になってそこにあった(見えるようになっていた)ことを知る。
自分では「変わりたい」と思って、頑張ってみてるのだけれど、現実の中での変化がみつけづらい。と思うときは。
「変わりたい」形に向かって歩いている、人たちと一緒に過ごしてみる。
そうしたら。自分も変わりはじめていたことに気づける。変わっていくことを応援しあって、あと一歩、自分の余力よりも多めに歩ける。
ひとつの目標にむかう「場」を利用し、意識を集めて「変わる力」にする。
……といったようなこと、考えながら。感じながら。
ファシリテーターとして参加した、カウンセラー根本裕幸氏のお弟子さん講座。
複数人で集まって、ひとつのテーマに意識を向ける「場」や時間は、ほんとうにおもしろい。
自分で企画した「場」もおもしろく感じる。けれど、自分以外の企画者が用意した「場」のなかに入れてもらうのは、また違ったおもしろさがある。
そして、1年ほど前には自分も受講生として講座を受けていて、ファシリテーターとしていてくれた先輩たちに、こうやって観察されていたのかなと思うと、またおもしろく感じる。
画面のなかにずらっと並んだ人たちは。ひとりずつ、とっても真剣に。それぞれの熱を持って課題や講座に取り組んでいる。意識が半年後の卒業(弟子講座の最終回)を目指して、じわじわと集中して深まっていく。
そのようすから見えてくる素直さだったり、まじめさだったり。かっこよさだったり。を、わたしは懐かしいような、甘酸っぱいような気分でながめる。
半年後の「弟子卒業」までを、それぞれに課題に取り組んで、悩んだり考えたり、感じたり挑戦したりしながら、動いていくんだろうな。
画面にたくさんいる人たち、みんなで「卒業」目指して動いていくから、現実の暮らしの中でもいろんなものが動いていくんだろうな。
どんな景色を見るのかな、どんなおはなしがそれぞれの内に生まれるのかな。
一瞬ごとに雰囲気や色合いが変わって見えてくるような気がして、画面の中に並ぶ顔たちをながめる。
自分もまた、できることを頑張りたいなとも思った。
わたしは、何にむけて意識を集めるだろうか。
集めた意識のその先を、誰に、渡したいだろう。
画面を見続けて、感じ続けて。ちょっぴり、腑抜けになった身体のまま、考えている。
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