自動操縦になっている心の奥を、身体感覚をとおして知る

自分のことは、知っているようで知らない。

知っているつもりで、あいまいにしかわかってなかったと気づいたり。
知らないつもりで、心の奥ではもう知っていたり。

自分の身体の内側には、知っている感覚も知らない感覚も、両方が入っている。

だから、自分の身体の反応や感覚をみながら、自分の持っている感情をおいかけると、自分の形が見えてくる。

心には、手で触れられるような形はない。けれど、身体は手で触れられる。形があるから、意識を向ければ跡をたどることができる。

心と身体はつながっているから。
身体の感覚をおいかけて、自分の心と出会いなおせる。自動操縦になってる心の奥を身体感覚をとおして感じる、知る。

最近のわたしが身体感覚で感じ取ったのは、「わかったー!」という喜びの感覚だ。

このところ、ぽつんと気になっていることがあって。ほんとうに、ささいなことなのだけれど、心の奥の部分で気になっていた。それが、とある人の言葉と本で読んだことばとで、ぴかんっとつながった。気になっていたことと、これまでの体験の記憶と、聞いた言葉と読んだ言葉が、ぐぐぐぐっとひとまとまりにつながった。

その瞬間。「わかったー!」

お尻の底から温度が身体を駆けあがって、しゅうっと頭から流れ出たような感覚になった。ぬるいのに勢いがある、噴水になったような気分。

でも、これはひとつの例だ。ここまで強烈に身体感覚に浮かぶことは、しょっちゅうあるわけではない(と思っている)。

きれいな景色を見て、ふわっと身体があったかくなる。
イラッとしたら、お腹の奥でざわっと動くものを感じる。
嬉しくなったら、きゅうっと身体の下の方から熱が上がってくる。

などなど、じぶんの身体の反応をみてみる。

今、例に挙げた身体の反応は、わたしの中で起きている反応を書いたもの。他の人の身体では、ちがう感じ方で出ているかもしれない。

人は感情が動くときに、もれなく身体にも反応が出てくるようにできている。人の身体の基本構造は同じでも、その感じ取り方は、人それぞれだから。

身体の感覚や反応もみつつ、自分の感情を見つめる。

人は、自分のことをそのまま表現したくても、なかなか、そのままに表現することが難しい。それは、育つ間に自分ルールや解釈、思い込みなどを、どうしても持っているから。

自分が過ごしやすいようにと、これまでの長い時間をかけ、周りの反応を見ながら学び取ってきたルールや解釈。それをつかって、自分のうちに湧くこころを押し込めたり、出す量を調整したりする。

元々感じていたこころは、ルールや解釈をとおって、差し支えない形になって表に出てくる。

こうしたほうが、普通っぽくていいかな。
これを言うと周りに反対されるだろうから、黙っておこう。
みたいに。表に出しても差支えがない形に変える。こころは変わってないのに、言葉や行動では、元ある心と少し形を変えていく。

その変えようは、心臓を動かしたり呼吸したりするくらいに自然すぎて、自分のこころを意識しづらい。今では自動操縦で解釈するから、こころの形も忘れがちになる。

それを何度も繰り返すうちに、ルールや解釈に出会う前のこころは見えづらくなる。

でも、気づきづらかった”自動操縦な部分”に意識を向けて、みてみたら?

自分の心の奥は、これからの自分がどうしたいか知っているし、これから何を感じたいかも決めている。
そのことに気づくことができる。

自分の内側とゆっくり、おはなしして。
自分が何を思っているのか、何に迷っているのかを感じる。知る。

そして、自分自身で、どうするか決める。


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