[立夏]暦に夏が来たら、豆たちがとどいた

節句をおえたから、暦のうえでは今日から夏がはじまる。立夏である。
七十二気候では「蛙始鳴(かえる はじめて なく)」の時期だ。

お参りに立ち寄った天神さんの境内にある池で、カエルが鳴いていた。
カエルが鳴いているということは、そろそろ実家で豆がとれるころだな、とぼんやりと思った。

……そうしたら、今日。実家から荷物が届いた。

ゆかいなイラスト入った箱

スーパーマーケットでもらってきた段ボール箱に、実家の畑でとれた野菜や花をつめた「ふるさと便」。
箱の中には、サヤエンドウなどの豆と芍薬の花が数本入っていた。 今回のふるさと便の箱詰めは、妹がしたようだ。 中でずれて動いてしまわない程度にほどよく整列して入っている。

妹家族は、連休を利用して家族みんなで実家に戻っていた。連休を終えて自宅に戻る前、いつもしているように、持ってかえりたい野菜たちを収穫した。そのついでに、お姉ちゃんのも。と用意して送ってくれたのだろう。 ありがたく、いただく。

3か月に2回くらいの割合で「ふるさと便」は届く。
そのときどきに畑にはえている野菜、収穫時になったくだもの。近所にすむ古い知り合いの農家さんが分けてくれる野菜など…… 中に入っているのは、幼いころから慣れ親しんできた野菜やくだものだ。

箱詰めを母がすると、野菜がぎゅうぎゅうに圧縮されて届く。箱を開けると、息ができなくなった野菜たちがため息をつくように、こぼれ出てくる。
箱に入れているうちに「あれも食べさせたい。これも分けよう」と、つい欲張って入れてくれている。その母の気持ちを思うと、ありがたいな、と思う。

豆の山(ほんの一部)

入っていた豆たちはサヤエンドウが2袋とスナックエンドウが1袋。大きめのレジ袋に入った豆たちは、凶悪なくらい量が多い。収穫するのはきっと、大変だっただろう。

夫婦二人のわが家に、この量の豆。おいしい間に食べきるのは難しい量だ。
冷蔵庫に保存すると、豆がしなびていく早さと競争だ。 おそらく食べるのが間に合わない。

連休の最終日だからと、家でテレビを見ている夫の手も動員して筋を取る。そして、3袋あった豆のすべてをゆでた。
1袋分のゆでたスナックエンドウだけは冷蔵庫に。2袋分あったサヤエンドウは、ゆでて冷凍庫に。冷凍庫はまんたん。しばらく、豆には困らない。

正月に動かした芍薬もぶじ花が咲いた

豆のほかに、 芍薬の花も3本入れてあった。 正月に帰った時に手をかけた芍薬は、無事、花を咲かせた。

例年どおりに咲いてくれた花を見て、わたしも花をたすけることができたと、ほっとした。

実家から(ふるさとから)届く荷物の箱を開けるとき、今でもこころがぎゅっとつかまれるように感じる。 実家からやってくる荷物は、毎回、わたしの黒い部分もこっそり刺激する。

ありがたいな。また、実家の畑の野菜たちが食べられる。
そう感じている一方で、ふるさとを離れてしまった自分を責めるような気持ちもちょっぴりわいてくる。

うれしい。ありがたい。
それなのに、ちょっと苦しい。
……でも、うれしい。ありがたい。

その「ちょっと苦しい」が何なのか。わからなくても、今はいい。

実家から届いた「ふるさと便」を次にひらくとき、「うれしい。ありがたい」気持ちでむかおうと思っている。

田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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