恋愛のご相談いただいた。それも数件、続いて。えらく、じっくりと考え込んでいる。(片思いの気持ち。不倫の恋になってしまっていた気持ち。どちらのご相談も、まだお返事かけずにいます。もう少しお時間いただきます)
自分の恋が相手に届かない。好きになってはいけない相手を好きになる。その、どうしようもない気持ちのじりじりしたり、ぽっかり穴あるような感じは、わたしも心の奥に残る。(今のわたしは。恋愛対象とする相手ではなく、友人や親について恋愛めいた息苦しさを感じているようなのですが。)
たくさんの「もしも」があって、自分の恋が相手に届かない。届けてはいけない。それが苦しい。
もしも、相手が既婚者でなければ。自分が既婚者でなければ。
もしも、相手がパートナーつきでなければ。自分がパートナー付きでなければ。
もしも、相手が同性でなければ。自分が同性でなければ。
もしも、相手が人であれば。自分が同属であれば。
もしも、相手の世代が自分と同じくらいであれば。自分が相手と同じ世代であれば。
社会的には、パートナーとして認められづらい相手を好きになって。そのたびに自分で自分を責めてきた。
でも、どんな状況であっても。自分が何かを誰かを好きになれたこと。それは、本当に奇跡。何かの偶然が重なって、それくらい心が動いたということだから、気もちを大切にしたい。
人は愛を与えられない時、苦しむのだと言います。
恋が相手に届かないとき。好きになってはいけないとき。
どちらも、自分の愛を与えてはいけないような状況になっている。
だから、苦しくなる。
でも、好きになってしまった自分を責めなくていいからね。だれかを好きになれたじぶんを、大切にしよう。そっとじぶんを抱きしめてあげる感覚で。
今は、恋の熱さがのど元にないから。そう思えているだけかもしれない。
自分がその相手のことを好きである。どうしようもなく恋をしていて。苦しいくらいに思っている。
その気持ちを自分自身で抱きしめたうえで。どう行動するか。考える。
その愛。どこへむけよう。どうやって、表現しよう。
気持ちや感情、こころ。
それは、行動とは別のもの。分けて考える……のかな、と考えているけれど、今のわたしには、まだ整理できず。お返事書くには、もうちょっと、考えてみることが必要な様子。
おりよく、この連休。お弟子講座があるのです。そちらで、カウンセラー仲間さんたちともお話してみて、お返事の行方を見てきます。
ということで、もうちょっと。恋愛のご相談へのお返事、お時間いただきます。