同じ言葉のなかにある気持ちの向きと熱量が、友人と私とで。お互いにかみ合わない気がした。それは「嫉妬」について話をしていた時のこと。
「嫉妬」をすると、誰かをいいなとうらやましいと思って、それをできない(と感じる)自分のことを嫌いになったり、がっかりしたりする。じりじり苦い気持ちのまま、できない自分を責める気持ちが大きくなる。
でも、友人と話す「嫉妬」は、相手が失敗すればいいのにとか、いなくなればいいのに。と思う気持ちが入るらしい。とても激しく、嫉妬する相手について腹が立ったり、嫌いになったりする。見たくないと思ったり、会うのが嫌になったりもする……らしい。
なんだか、かみ合ってくれない。だから、ちょっと調べてみた。
嫉妬(しっと)
① 人の愛情が他に向けられるのを憎むこと。また、その気持ち。特に、男女間の感情についていう。やきもち。悋気(りんき)。 「 -心」 「夫の愛人に-する」
② すぐれた者に対して抱くねたみの気持ち。ねたみ。そねみ。 「友の才能に-をおぼえる」
しっと【嫉妬】.wablio辞典
羨望(せんぼう)
うらやましく思うこと。 「友人の身の上を-する」 「 -の的」
せんぼう【羨望】.wablio辞典
わたしは嫉妬と羨望とをごちゃまぜに理解していたみたいだ。
わたしが感じていた「嫉妬」は、羨望に近い。羨望はあこがれで、特に相手を「憎む」感覚は入っていない。相手を恨むより、むしろ自分自身の「できない」ことを責める気持ちが大きい。
このあこがれが、相手を憎む気持ち含んできたら「嫉妬」になるようだ。
よくよく、辞書の表現を読んでみると、羨望(せんぼう)には良性と悪性とがあるという。あこがれも、自分にとって原動力のもとになるなら、よきものとして受け入れてみたら? ということらしい。
嫉妬しているときは、おもいっきり嫉妬すればいい。何に嫉妬して、どんな風に思っているか。何を妬ましくおもうか。自分でじぶんをみるといい。
自分がなりたいけれど、がまんしてきたもの。口にしなかったこと。できなかったこと。いえなかったもの。それを見せてくれるのが、嫉妬。
悔しがって、苦しんで。妬ましくなって。どろどろに、くやしがったその先に。自分のなりたい本当の姿が見える。愛したくて、たまらなかった「何か」をみつめることになる。
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あこがれも、嫉妬も。表に出る形は違うけれど、もとは自分の内にあるエネルギー。自分が苦しいだけだともったいない。
そこから、何を感じて、どうやって自分の力に変えようか。
嫉妬で悔しかったり、ねたましかったりする気持ちに、ちょっと気がすんだならギアチェンジ。自分の夢にむかう力に変えていこう。
▼ 嫉妬というよりは「あこがれ(羨望:せんぼう)」が適切な表現かもしれない