「やらなきゃ」と気持ちばかりがあせって、いっこうに進まない。妙な力が体に入る。今日やるつもりで置いてあったものはあきらめて、他のことに手を付ける。そのことも、やっぱり進まない。
とうとう、全てをあきらめた。今日は、休もう。
積んでおいた小説を読もうか。溜まりすぎたテレビ番組の録画を見るか。それとも、どうしよう。
せっかく休む気になったから、せんべい布団というのも気の毒なくらいぺったんこになった布団を出してきた。その布団の上でストレッチをしたり筋トレをしたりする。関節の動く範囲を確認する。
なにか、音や映像が欲しいかも。何を見ながら筋トレをしようかな。
おもいついて、心理学講座のDVDを流すことにした。ほんとうは心理学講座のDVDをきちんと見たいのだ。ノートをとりながら、質問も考えながら見たい。それなのに、いっこうに見ることができない。「きちんとしなきゃ」と思えばおもうほど、映像の途中で眠気に襲われる。なかなか見ようとする用意が整わない。
だから、「きちんと」見るのをあきらめた。流し見をするなら見ていられるかもしれない。
筋トレやストレッチをしながら、流し続けた心理学のDVD。気づくと筋トレをしていたはずの手が止まって、画面に集中していた。
なあんだ。見ることができた。きちんと見なければ、あれほど見る用意が整わなかったDVDも見ることができるのか。
「ちゃんとする。というのが出てきたら、ようちゃんは要注意だよ。きちんと完ぺきにしなくてはと思い始めて自分で自分をしばるから」と、先輩に言われたことを思い出した。
そうね、きちんとするのはあきらめよう。あしたの夜も心理学講座のDVDを、少しの時間だけ流してみよう。ノートはとらなくていい。きちんと見なくてもいい。そうしたら、見ることはできる。
だらりと力を抜いてみよう。ついでだから、と軽い気持ちで動いてみよう。
「やらなきゃ」「きちんとしなきゃ」は、行動をしばりつける。自分をしんどくしてしまう。もう少し、お気楽で軽い感じでやってみよう。そうしてみれば、まだまだ、できることがある。やりたいことだって、もう少し気分よくできてくるのではないだろうか。