「お届け物です。今回の箱は重いので」
今日の午後、郵便さんが箱をひとつ届けてくれた。
箱を開けると、黒いほど紫にひかった長ナスがこんにちは、とはみ出してくる。ナスの下には少し小さめのスイカ、きゅうり、なす、かぼちゃ、うり。実家の近くで育った野菜たち。 ぼこぼこ、重いほど入っている。
暑いこの季節。出荷のためにより分けるのもたいへんなのに、わたし用に取り分けてくれた長なす。 持って帰ることができるようにと、時期を合わせて作ってくれているウリ。 帰省するはずだったわたし用にと近所の方が分けてくれていた野菜を箱詰めして自宅まで送ってくれた。
近所の人たちに大事にされてるんだな。ただ、愛されてたんだな。
ありがとう。大切に、おいしく食べます。
スイカの下につぶされるようにして、半分、形が変わったお菓子が入っていた。
お盆のお供えに使う、小さいころから食べていたお菓子。
「内緒よ」と祖母がこっそり、お盆用にお供えする前に分けてくれて。お盆の飾りつけをした後で、こっそり祖父が分けてくれて……そういえば、母も後でこっそり半分こしてくれたな、と思い出す。
帰省しなかった分、母への「ありがとう」の気持ちを大きく思い出す。
顔を見ると、どうしても、しんどくなることが多いのに。これだけ、やさしい気持ちになれるのが少しくすぐったい。
野菜が届いたよ、と母に電話を入れた。
帰省しなかったことを責められるのではないか。なにか無理難題をふっかけてくるのではないかと疑う気持ちもわいてくるのに、今回はなぜか、とっても広い気持ち。やさしい気持ちのままで母と話せた(電話だけど)。
帰省しなかったことに、母からは、ひとことも触れられなかった。どこへ行っていたかも、聞かれなかった。野菜が壊れずに届いたか。夏バテはしていないか。わたしの心配ばかりしていた。
「元気にやっているから、大丈夫」と伝えた。帰省しなかったことに、わたしも触れずに電話を切った。
やさしい気持ちのままに居られても、また次に話をした時。
機嫌がいいときしか、おねえちゃんは話をしてくれない、とか言うんだよな。油断は禁物。今日は、たまたま。お互いにいい気持ちでお話しできた、だけ。
母が分かってくれたのではないか。とわたしの気持ちを押し付けたり、期待したりするのはもうやめた。
母は母。わたしはわたし。
母との電話を切った後、ふと思いついて精霊馬を作ろうと思った。きゅうりやなすに楊枝や割りばしで足をつけ、午の形にする、あれだ。
送ってくれたナスときゅうりに足をはやしてみようと、いろいろ突き刺してみたけれど、バランスがうまく取れずあきらめた。
小学生の夏休み工作を、毎年、きゅうりとなすの馬で、よくもごまかし続けられたな。とおかしくなったら、ずるりと、ものすごく遠くにあった夏休みの気分を思い出した。
遠く、消えてしまった記憶も多いけれど。それでも、思い出せるだけの「なにか」あたたかい気持ちを自分はもてていたのか。ちょっと、安心した。
とりあえず、長女の乱~お盆編はおわり。また、いつもの毎日が始まる。