思っていることを形にする練習に音声入力つかうといいかもしれない

わが家のデータ通信環境は、それほどよくない。回線が混みあう20時ころは、特によろしくない。

うっかりブラウザのうえで文章を書いていると、せっかく書いた文章が消滅してしまう。書けたと思っても油断はできない。ブログ公開のボタンを押したっきり、表示が戻ってこなくなり。結果、せっかく書いたものが消えることもある。

回線混みあう時間帯には、パソコンからブログを入力することがなぜかとても面倒くさくなる。そこで、この記事はスマホから。アプリを使って書いている。

スマホをつかうなら、音声入力機能も試すことにした。音声入力でブログ書いてみるのははじめてのこと。

音声入力を試して、人の思いはなかなか形になりづらいのかもしれないと感じた。

人の思い。頭のなかのもわんとしたものを、かたちあるものにするのが、書くこと。

自分の思いを、自分の手を動かして「文字」という形にする作業が書くこと。

音声入力では、声にしたものが、ほぼそのまま文字になって画面に出てくる。自分の頭に浮かぶ曖昧な形を、ことばに変えて。ことばを、そのまま声に出してやると、それを機械(スマホの音声入力)が拾ってくれて文字に変えてくれる。

書くときは、頭でかみしめるようにことばに変える。そのことばを手の動きに変換して、文章とする。音声入力のときには、ことばを手の動きに変換せずに、そのまま声にする。「手を動かす」手順をとばして、ことばが形になる。文章になる。文章として目に見えるまでの時間が、手で書くよりも、少し早くなる。

音声入力で出来上がった文章、文字テキストの連なりを自分で読み返すと、とても驚く。

文章になっているものが薄っぺらに感じられる。ことばが足りなくて、わかりづらい。

書くまでは、頭の中に溜まってある多くのものを、ぜひ文字にしたいと思っていた。濃く強く願っていたはずのものが、とても薄っぺらになってしまう。

思いや願いは、人が自分で思うより、もっと薄いものらしい。もしくは、べたりと均質に思いがひろがってあるものではなく、粒と粒の間が離れてまばらな塊なようなものであるらしい。

手で書いているときには、頭でかみしめたことばを確認し。手を動かすときに、ことばと思いのすき間をうめながら、文章の形につくっているようだ。

音声入力だけで「書けた」と思う内容ができるとき。頭でかみしめただけでことばにできるくらい、自分の思いや願いをはっきりと自覚できてきるのだろう。

手書きもいいけど、音声入力もなかなか面白そうな入力法だ。

(この記事は音声入力を元に作成しました。漢字変換のまちがいを直し、ことばを補ってあります)

田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

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●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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