まっすぐ、自分をみられなくて。
どこか、他の目を気にしてしまうと、自分の本物の感情やら思いから離れてしまう。
自分はどうしたいか。毎回、言葉を尽くして聞いてみる。
慣れないうちは、根気強く自分の気持ちを確認する。
他に人がいないとして、周りに誰もいないとして。
じぶんが他から何も言われない、なんでもありだとしたら
本当のところ、どう思ってる? どうしたい??
それくらい、用心を重ねて聞いてみてあげると、
おそるおそる、じぶんの声が言葉を返してくれる。
返ってきたことばは、ただ、うけとめる。
ゆっくり、少しずつ。ことばのなかにある意図を確認していく。
—
周りに誰もいないとしたら、他の人から何も言われないとしたら、
じぶんは、どうしたい? 何を思っている??
そんな風に聞いてあげないと答えづらいと思うくらい、
これまでは周りの人を、自分のきもちより優先してきた。
周りのことを優先してしまうのは、自信のなさだったり。 やさしさだったり、愛だったり。
じぶんのことよりも、周りが第一だと思う方がよりよく暮らせたころの名残。
今、そのことに違和感を持っていること言うことは、
今、現実がどこかとどまっていると感じられるということは。
そのやり方はもう、見直しをかけてもいいですよというサイン。
もう、自分の気持ちを中心に動いていく時期ですよ。
もう、自分を大切に。じぶんのこころを掘りだしていくときですよ。
そうは言っても、これまで他の人のようすを優先してきたのだから、じぶんのこころをするりと自動的に受け取ることは難しいかもしれない。
だから、慣れるまでは丁寧に問いかける。
他の人から何も言われないとしたら、じぶんは、どうしたい? 何を思っている??
自分のことを優先してみることに慣れてきたら、
じぶんはどうしたい? 何を思っている??
と聞いてみる。
じぶんがどうしたいと思っているのか。何を感じているのか。
それを知ったら、そんな自分に私は何をしてあげたい?
もし、友人が「そうしたい」といったら、なんと答えてあげようか?? と考えるように、自分のことを見てあげる。
それを繰り返すうちに、じぶんの気持ちをみることができるようになっていく。
10年以上も前。家の中のルールは夫が主体で、自分よりも家族のことを中心に暮らしが回っていた。
そのころのわたしはごはんを食べに行っても、大好きなお酒を飲みに行ったとしても。じぶんの好きなものを注文することができなかった。
すべて、家族が望むまま。夫が言う通り。
お前はこれでいいんだよね。とビールを頼まれたらビールを飲む。
おやつを食べたいとか、思うことがもう罪だった。考えるだけで、じぶんを罰した。食べることすら、嫌になっている時期があった。
何を好きなのか。何を食べたいのか。
伝えることができないだけでなく、どうしたいか、自分でわからなかった。
でも、もう。
今は何が好きか、自分で知っている。自分の好きを家族に伝えることができる。
そして、自分の好きを頼むことができる。家族の好きも、それはそれで笑ってみていられる。
わたしも笑って、相手も笑って。
ふたり、笑えば。
倍たのしい。