
久しぶりにチームで仕事をしています。一人で進める仕事もいいけれど、チームで動くとスピードが全然違う。みんなの力が合わさることで、一気に前へ進む感じがある。
それに、担当部署とのやりとり。
面倒なことも多いけれど、それがまた面白くて、燃える。忙しさに振り切って、アドレナリン全開で駆け抜ける感覚。
そんな感覚を久しぶりに思い出しました。
でも。チームで仕事をしていると、必ず出てくるのが人間関係の問題。
信じていたのに、裏切られた?
先日、ある出来事がありました。
とても信頼していたチームのメンバーに「裏切られた」と感じて、がっかりしたんです。
がっかりすると同時に、ものすごく腹が立った。
「キーッ!」と、漫画のト書きみたいな怒り。
こんなに感情が爆発するのは久しぶりで、自分でも驚くほどでした。
それくらい信頼していた相手だったんです。
仕事ができるし、説明もわかりやすいし、安心して任せられる。
むしろ、この人がいるからこそ、チームがうまく回っているとさえ思っていた。
それなのに、突然の出来事。
「信じたかったのに、もう信じられない……」
悔しさと悲しさで、どうにも気持ちが収まりませんでした。
期待が大きいほど、落差も大きくなる
気持ちが整理できなくて、仕事の手が止まる。
考えれば考えるほど、「わたしが悪かったのかな?」とか、「もっと伝え方を工夫すればよかった?」と、自問自答のループにはまっていく。
机のまわりには気分転換のチョコレートの包み紙が散乱して、気がつけばため息ばかり。
でも、少し落ち着いたとき、ふと気づいたんです。
こんなに腹が立つってことは、それだけ相手を大切に思っていたってことじゃない?
どうでもいい相手に対して、人は、こんなに心を揺らすことはない。
(愛の反対は、無関心。というくらいだから……)
相手に対する期待があったからこそ、その期待が裏切られたと感じたとき、感情がジェットコースターみたいに急降下する。
「あの人なら、きっとこうしてくれるはず」
「信頼できるから、大丈夫」
そう思っていたからこそ、その通りにならなかったときに、大きく落ち込む。
でも、それは「相手を信じていた証」でもある。
期待と信頼は、似ているけれど違うもの
期待と信頼は、似ているようで、実は違う。
期待は「相手がこうしてくれるはず」という未来への希望であり、自分の理想像を相手に投影することでもある。
一方で、信頼は「相手がどうであれ、その選択を受け止めること」。
期待は、相手が自分の望む形で行動することを前提にしている。でも、相手には相手の考えがあり、状況がある。自分の期待と相手の現実が食い違うと、裏切られたような感覚になる。
一方で、信頼は、相手の判断や選択を「その人のもの」として尊重する姿勢。
たとえ期待と違う行動をされても、「そういう選択をしたんだな」と受け止めることができる。
健全な信頼は、相手を大切にしながらも、過度な理想を押し付けないこと。
でも、期待が強くなりすぎると、現実とは違う「理想の相手像」に対して、あれもこれもと思いを押し付けてしまおうとする。
相手のことを大切に思っているつもりが、いつの間にか「自分の期待を叶えてくれる人」であることが前提になってしまう。
見つめる視点を変える
期待しすぎてしまうのは、相手をよく見つめ、「よく知っているから大丈夫」と思うからかもしれない。相手を(その能力などを)、大切に思ってきたからこそ生まれるのが期待。
期待そのものは、別に悪いものじゃない。あなたを認めていますというサインでもあるから。でも「こうあるべき」といった思いも、そこにくっつけてしまっている場合も多い。
だからこそ、期待をゼロにするのではなく、「視点の位置」を少し変えてみる。
たとえば、「こうしてほしい」と思ったときに、一度立ち止まって、相手の状況を想像してみる。「相手は今、どんな気持ちで、どんな立場にいるのか?」と相手の現実の姿を考えるだけで、気持ちの余裕が生まれることもある。
また、「こうしてくれるはず」と思ったときには、自分と相手とは別の人だというのを思い出す。自分に自分都合があるように、相手にも相手都合がある。だから、「もし違ったらどうする?」と、もうひとつの可能性を考えておく。そうすると、期待がかなわなかったときの衝撃が少し和らぎ、選択肢を増やせるようになる。
期待したことがかなわなかったとき、すぐに「裏切られた」と感じることはあるけれど。
「わたしは本当は何を大切にしたかったのか?」と自分に問いかけてみるのもいい。
そうしたら、自分が大切にしている思いに気づくことができる。
自分の「見る力」をどう使う?
期待する気持ちが強い人ほど、周りをよく見て、相手のことを深く考える力を持っている。
その力を「自分を傷つけるため」に使うのではなく、「自分を大切にするため」に使ってみるのはどうだろう。
相手を信じることが怖くなってしまうのではなく、信頼と期待のバランスを見つめ直し、新しい関わり方を探していく。そうすることで、感情の揺れに振り回されるのではなく、自分の「見る力」を健やかに活かせるようになる。
この経験を通して、わたしが学んだのは
「期待が裏切られた」と思ったときこそ、自分が本当に大切にしているものが見えるということ。
あなたの「見る力」、どう活かしていきますか?
それでは、またね。
田村洋子でした。
あなたの「見る力」を、もっと味方にする時間を……
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