どうしても、それをせずにはいられない。強く追い詰められるような感覚がやってくることがある。ひとつのことが気になり過ぎて、ぐっと貼りついてしまったように、ぴったりと。そのことを追求したくなる。
強く追い詰められるように「追求している」じぶんをながめて、どこかがおかしいとはわかるのだけれど、自分ではなかなか止まらない。必死にブレーキを踏んでいるのに、スピードは上がっていくばかり。急な坂道を、ブレーキ壊れた車で下っていくような気分。
止まりたいのに、止まれない。
そうなると自分だけでは止まれないから、外からの助けをもらう。身体の感覚をとおして暴走をなだめる。
思考の暴走をなだめる方法(わたしの場合)
ミント味のタブレットをかじって、きりっとしたミントの香りを感じてみる。
ふわふわやわらかな手触りのぬいぐるみやタオルを、手のひらでぎゅっと握りこむ。
少し自分に余力があるならば、思考が暴走しているその場から離れる。そして、目を閉じ口を閉じ、静かな場に立つ。
もし。手助けしてくれる人があるならば、背中をリズムとりながら、ぽんぽんとたたいてもらう。腕を握ってもらう。
身体の感覚に意識を向け、思考だけに流れ込んでいたエネルギーの向きを変える。そうすると、いくらか思考を止めやすくなる。今の自分の様子をみつめる位置に、自分が戻りやすくなる。
*
つい数日前も、「止まりたいのに、止まれない」になったばかり。参加していた勉強会で先生に質問していた時、内側に在った「知りたい欲」が爆発した。知りたい欲が爆発したら、相手を気遣いながら質問をするゆとりが消え始めた。
まずいな、どうしよう。止まらなくなってきた。衝動のままに、ぽんぽんと言葉が口からこぼれてくる。質問のかたちをとっていない、ただの疑問をぶつける時間にしてる。せっかく先生が教えてくれようとしているのに、その答えをさえぎるようにして言葉がこぼれ始めた。
止まりたいのに、止まらない。そんな自分に慌てている。そのことはわかるのに、質問の言葉だけがぼろぼろと出て心の中でごめんなさいを言う。
この場に座っている自分と、質問している自分と、ごめんなさいと思ってる自分が、ぎゅうぎゅうと身体の中で居場所を探し、あふれだしそうになる。
落ち着きを無くし始めたわたしに気づいたのか、隣にいた友人がそっと、わたしの腕に手を添えてくれた。きゅっと、腕を握りこんでくれる。ここに戻れと言ってくれているみたい。
わたしが友人の手の温度を感じ、自分の腕と友人の手に意識をむけられたとき、ようやく暴走しながら言葉を出していた脳の部分が力をゆるめはじめた。先生が伝えようとしてる言葉を待てるようになってきた。
わたしの手が、友人の手を握り返せるようになった頃、ようやく攻撃的になり始めていた質問の言葉が口からでなくなった。
はあ、怖かった。やっと止まった。これで、知りたかったことを落ち着いて聞ける。
隣の友人にありがとう、質問に答えてくれてた先生にもごめんなさいとありがとうを伝える。
「このしばらく強迫症は落ち着いていたのに。最近、もしかして、不摂生気味?」と笑われた。
お見通しだわ。最近、調べものやおはなし書きが楽し過ぎて、睡眠をおろそかにしてた。
ちょっと、生活リズムが崩れてたかな。食事の様子はどうだっただろう。と自分のようすを振り返る。そして反省。
たのしくても身体と自律神経は大事に。
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