自分を受け入れたくない。別の自分になりたかった話-1-

ずっと居場所がないと思ってきた。だから自分で自分を嫌いだった。ちゃんとした、すごい人になりたかった。

でも、そんな自分をあきらめたら、素の自分が戻ってきた。

何者かになれば、居場所ができると思っていた。

居場所がないのは、わたしが普通のことを当たり前にはできないから。だから居場所はないのだと思ってきた。

だから、普通になりたかった。世間が認める「ちゃんとした人」になりたかった。

せっせと周りを見ながら、できるだけ普通に過ごせるように真似をして。周りに見せる用の仮面かぶったような人格を作り上げ、「すごい人」「ちゃんとした人」になろうとしてきた。

そうすれば、居場所ができると思っていた。でも、できた居場所はどこか自分にあわなくて、しんどくなった。仮面をかぶったままのような人格と素の自分がけんかするようになった。あるとき、全てが壊れて、やっと立ち止まれた。

わたしも、自分以外の何者かになりたかったんだ。

……と思い出したのは、Fukaカウンセラーの書いた「何者かになりたかった話(進路選択の話)」を読んだから。

結局、わたしは自分以外の何者にもなれなかった。わたしは「わたし」のままだ。

自分に向き合い、自分を受け入れる

身体の具合を悪くして、こころの様子も無理になって入院したわたし。全てが壊れて立ち止まったあと、自分自身の内に自分を取り戻しはじめた。

調子が良い時と悪い時を行ったり来たりしながら、何者かになろうとして押し込めてきた素の自分と出会いなおした。少しずつ自分自身に向き合いなおして、自分を受け入れる。

自分と向き合い続けていると、自分が嫌っている自分自身をみつけて、うんざりするときもある。自分で自分にダメ出しして責めて、凹むこともある。ため息つきながら自分と向き合って、変わろうと決めるときもある。

自分が思ってきたよりも、がんばっていた自分をみつけて嬉しいこともある。自分では認められなかったことを、思いがけず周りに評価されて、どきどきするときもある。

果実も花も葉も、つるも根っこも。全部でひとつ。

自分自身が感じたそのままを、感じてもいいよと自分に許せるようになった。そして、自分のことを、自分で受け入れられるようになってきた。

自分がどうしたいかを、自分で知る

自分と向き合って、自分で自分を受け入れ続ける。

そうしたら、以前よりも「自分がどうしたいか」を自分自身でわかるようになった。自分の思いや感覚を感じ取れるようになった。

体調もこころの調子も比較的おちついてきた今も、自分と向き合い続けている。

自分にダメ出しし過ぎて凹んだり、喜んで浮かび上がったりしながら。自分と向き合い続ける。

そして、自分がどうしたいかを、自分で知る。

素の自分を取り戻してきた

自分の手に、自分を取り戻してきたら、居場所かもしれない場ができはじめた。素の自分が戻ってきた気がした。

そのおかげか、以前ほど強く激しいようすで「何者かになりたい」と思わなくなった。何者かになりたい欲は、ややおとなしくなった。

別の自分になりたかった話-2-に続く

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田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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