感謝をするとき、人は「足りているもの」に目を向けている。と聞いた。
だから、今月を振り返りながら感謝を数える時間を、これまでよりも、じっくりと持った。
月の終わりに「ありがとう」を数える
その月最後の日に、ひと月の振り返りをする。手帳に書き込んだメモをみながら、今月の自分のあしどりをイメージの中でたどる。そして、ひと月分の「ありがとう」を確認する。
……これを数年、続けている(毎月の感謝を数えると「運がよくなる」「幸せを実感しやすくなる」ときいて、はじめた習慣だった)。
今日は月末だから、ひと月分の「ありがとう」を数える日。
手帳のページをながめながら「ありがとう」を数えてみる。思い浮かべるのは、人の顔や景色。「ありがとう」を感じたときのようすをイメージしながら、自分に問いかける。
「ありがとう」と誰に伝えることができたかな。
「ありがとう」と誰から伝えられたかな(誰を喜ばせることができたかな)。
感謝をするとき、人は「足りているもの」に目を向ける
感謝をひとつひとつ、思い出すとき。人が見ているのは、自分に「足りているもの」だという。
毎月、わたしは自分に「足りているもの」を見ていたらしい。「足りているもの」を確認していた実感は、わたしにはなかった。
今月は「ありがとう」と思い出しながら、自分が持っているもの(足りているもの)をかみしめた。
感謝の重みが変わって感じられた
感謝を向ける相手がいて、感謝を感じた出来事があった。それを、自分が思い出せたのが、嬉しい。
「ありがとう」の瞬間を思い出し、相手の顔が浮かんだ時。身体がほわっとあたたかく感じられる。そのあたたかさ(感謝)を感じながら、「足りている」「そこに在る」ものを意識する。
他の人にしてもらったことを受け取れたから、ありがとうと口にできた。「ありがとう」を伝えることができる相手が在った。
他の人から「ありがとう」を伝えられ、嬉しくなったわたしがいた。わたしの存在・行動が、誰かに喜ばれた瞬間があった。
「ありがとう」のなかの「在る」を意識したら、感謝を思って湧いて出ていたあたたかさが、とろりと濃くなった。そして、重さをもって、たらたらとオイルが垂れていくように、身体の奥へ染みこんでいくように感じた。
感謝が染みこんだ先にあったもの
自分自身で思っていたよりも、たくさんのものが在った。在ることを、これまではそれほど意識していなかった。
これほど、たくさんのものを身体の奥に感覚としてためてあるのなら、今のわたしでも十分じゃないか。
そのままのわたしで大丈夫。改めて、確認した。
(より素敵な自分でありたいと願って、まだやってみたいことはたくさんあるけれど、ね)
そのままのわたしで大丈夫だよ。
「そのままのわたしで大丈夫だ」と思えるなら、「自己肯定感が高い」と言っていいはず。
それでも、つい自分の嫌な部分を目に入れがちなわたし。自分が嫌っている部分が気になって、そればかり見てしまうときもある。
けれど、そんなわたしでも大丈夫みたい。
「ありがとう」をいくつもみつけられるなら、自分に「足りている」ものをいくつもみつけられるのだから。
そのままのわたしで大丈夫。
今まで、意識してこなかっただけで、足りていたみたい。「在る」と意識したら、思ったより多くのモノを身体の奥にためていたと気がついた。
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