自分を信頼することと女性性

信じる、頼る。それが「信頼」

「頼る」ことは、ゆだねることにも似てる。

そんなことを思ったのは、facebookのタイムラインでこの記事を見つけたから。

人を信頼するまでの、ふたつのステップ

人を信頼するには、ざっくりふたつのステップがあるんです。
(1)私が私を信頼する
(2)その私が相手を信頼する
2回の信頼が関わってくるんですね。

彼を信頼できるようになるためには、まずは自分を信頼するところから~信頼、信用、初心~; 根本裕幸 オフィシャルブログ

きっと、このふたつのステップ。
ふたつのステップを通っているとは自覚しないうちに、するっと自分の中で解消されているのだと思うのです。

なにかを。誰かを。
じぶんが大切に思った、そのときに。

ふたつのステップがクリアになっているとき(わたしが私のことも相手のことも。どちらも信頼できているとき)は、「信頼」が腑に落ちているのです。

こう、相手にその大切にしたい思いが届かない、片思いだとしても大切だと思えるとき。
相手のことを大切だと思っているじぶん自身のこころもちを、そのまま、まるりと抱えていられるとき。
相手がどう受け取るのかを、相手の思いにゆだねられているとき。

ゆだねることに、目を向ける

なにかを。誰かを。
じぶんが大切に思った、そのとき。

自分の内側から、ふと湧いてきた「大切だな」という思い。
(湧いてきた思いは、大切、好き、大事にしたい……なんでもいい)

自分の内に湧いた思い、そのものに。じぶんの心をゆだねること。まかせること。信じること。
 どうして、そう思ったのか? 思考で明確にしてしまうより前の。感覚にまかせること。

それが、ひとつめの信頼ステップ。

そして、自分の感じたことから相手を向いたとき。
相手が何を感じていても、どう行動していても。そのことを、ただ受け取ること。相手にまかせること。

相手の選択したその結果を尊重し、そのことに自分をゆだねること。

それが、ふたつめの信頼ステップ。

でも、相手に期待してしまう

ふたつめの信頼ステップは、相手に反応をゆだねることになる。けれど「こうあってほしい」と相手の反応に期待してしまうことも多い。

そうすると「裏切られた」ような気がして、じぶんで信頼をつぶしにかかることになる。
「どうして、相手を信じたのだろう」と、自分のことも責めてしまうことになる。

ただ、相手にゆだねる。
それだけのはずなのに、ゆだねることを難しくしてしまう。

それは、人であるから仕方がない? それとも、考え過ぎが発動するから?
もしかしたら、これまでの経験が自分の中でゆだねづらい癖をつくってしまっているかも。

ゆだねることは、受け取ること

ゆだねること。受け取ること。
どちらも、自分から動き始まる動的エネルギーではない。
まるりと同じ世界で存在させるような、女性性のエネルギー。

静かに包み込むようなエネルギー。
しなやかに。在り方そのものがエネルギーとなる。

ゆだねること。受け取ること。
どちらも、わたしは苦手。自分で動いた方が早いとか、男性性エネルギーごりごりでやってしまう。

なにごともバランス。もう少し、女性性を意識して使うようになろう。

ゆだねる。その心地よさ

相手にゆだねる。そのことは、相手あってのことだから。
まだ、少し怖いと感じる。

けれど、じぶんの中にある感覚に、じぶんをゆだねること。感覚にゆだねた結果、自分が選んだことに自信をもつこと。
それは、自分自身のことだから。自分でこころがけていければ、なんとかなる。

自分自身に、信頼を積みあげていける自分でありたい。だって、その先には「まわりを信頼できる」ことが待ってるのだから。そちらの世界の方が、あったかくて素敵に思える。

周りを信頼できること。どんなに、軽やかで楽し氣な世界だろうか。

まだ「信頼」を腑におとせていない自信があるわたし。これから、女性性なエネルギーを意識しながら自分の信頼を再確認していきます。

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