下を向く「ごめんなさい」より、顔をあげて「ありがとう」を

過呼吸が久しぶりに出た。やってしまった。
せっかく治っていたのに、また出ちゃった。このしばらく、覚えている限り起きていなかったはずなのに(もしかしたら記憶がないだけかもしれないけど)。

そんなこと、思ってたら。また罪悪感出てきた。

「やってしまった」と自分を責めてる。
「また出ちゃった」と、ずっと過呼吸をおこす自分を責めてきてる。

ごめんなさい。せっかく治ってたのに。ぶり返してごめんなさい。

「ごめんなさい」は下を向く言葉。
顔を上げよう。自分を責めるほうを向くのはやめよう。

顔を上げて周りを見よう。周りにたくさん、わたしにむけて差し出された手があったことを覚えておこう。

—-

様子がおかしくなったわたしを気づかってくれた人がいた。
身体を支えて、気もちよくなりそうな場所へつれて行ってくれた人がいた。

そばにいて、手を添えていてくれた人がいた。

気づいたら、水のはいった冷たいペットボトルを持たしてくれた人がいて。
熱中症対策飴まで、知らないうちに膝の上に置いてくれた人がいた。

そんな、みんなにありがとう。感謝を伝える。感謝を覚えておく。

急遽、外出の予定をとりやめたことを心配をして、付き添いにきてくれようとしてくれた人がいた。

その方に申し訳ない。ではなくて「ありがとうございます。嬉しいです」
感謝と気持ちを伝えよう。感謝を感じておこう。

そうなると、過呼吸が起きたとしても、そこから見えてくるものは……

全てが、とてもありがたいこと。
全てが、とても嬉しいこと。

過呼吸になってしまった自分を責めてみるより、こころのエネルギー軽くいられる。
なぜ、具合を悪くしてしまったかと。犯人さがしをしてみるよりも、よほど。自分の中の立ち直りも早い。

まわりの人が、じぶんを支えてくれている。だから、きっと。大丈夫。

もし、自分だけのときに過呼吸がおきてしまったとしても。大丈夫。

これまでに何度も過呼吸発作を起こしてきたけれど、今はふつうに呼吸ができている。日常を過ごしている。

何度も起こした発作のおかげで、自分なりの対処もばっちり。
はじめのうちは薬を飲んだり、紙袋を使ってみたりしたけれど。いまは自分で呼吸の仕切り直しだってできるようになってる。だから、大丈夫。

周りに人がいてくれても、自分だけのときでも。
過呼吸がおきてしまったとしても、それはただ。通り過ぎてくだけのもの。

やっちまったな。あはは。

それくらいに自分をかるく笑っておこう。どんよりと落ち込むのはやめる。
そして、自分に向けてもらったものに意識を切り替える。

わたしに向けてくれた親切の数々に「ありがとう」と感謝を。

……そういえば。過呼吸が落ち着き始めた時。周りの人に「ありがとう」を言えていたかな。言ったような気もするけれど、覚えてないな。

受けた親切。他へまわそう。

自分が、ふと気になった時。
手を差し出すことをためらわないでいよう。

そんなことを思った、過呼吸あけの日でした。

今日も暑い一日でした
田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

follow Me
心のモノコト
笑顔ではなうた
タイトルとURLをコピーしました