「パパ、ありがとう」
小学生くらいの女の子が、男の人に紙づつみを渡すところに出くわした。
デパートの一階。花屋の前。
お母さんと一緒にいた女の子が、パパに紙づつみを渡す。渡した後にお母さんをふりかえり、お母さんの手元から花をうけとり、もう一度パパに渡す。
嬉しそうな、しあわせそうな。家族の風景。
来週の部屋に飾る予定の花を買いに来た花屋のまえも、父の日用の花たばがいくつも用意されてあった。花を選んでいたおかげで、家族のしあわせな景色を見ることができた。少し楽しく、ぽちりとさびしくなった。
わたしは父の日に、父にあてたプレゼントをしたことはない。わたしは、父にあてて絵も描かなければ手紙を書いたこともない(たぶん)。 うちの父は、わたしが4歳のころからお墓の中にいる。 渡す相手はお墓の中……なので、父の日にちなんで書くことになる絵や手紙は、母か祖父にあてたものになっていた。それが、少しさびしかった(と思い出した)。
ちゃあんと、父にプレゼントを渡したなら。どんなに喜んでくれただろう?
父の日が来るたび、そんな想像をすることもあるけれど、この最近は考えもしなかった。それなのに、その家族のすがたをみた、そのおかげで父のことを思い出した。
思い出した。というけれど、記憶はほとんど残っていない。
公園でキャッチボールをしたこと。
冷凍装備を着込んだ父のふところにもぐりこんで倉庫を散歩したこと。
家と会社の間にあった田んぼ道を、手をつないで歩いたこと。
父と過ごす小さな女の子を記録映像で眺めるように、じぶんが空から見るシーンばかり。本当にじぶんの記憶なのか。なにか映像を見てつくりだした記憶なのか。確かめることはできない。
だから、父との記憶がないことを少し残念に思いながら、しかたがないとあきらめてもいた。
それなのに。
律儀な父は、気配とことばを。今年、よこした。
「生まれてくれたこと。数年一緒に過ごしたこと。それが、じゅうぶん。大きな贈りもの」
じわりと、突然。どこかから聞こえてきたことばは、覚えていないはずの父の声で。
ふと、お線香のかおりまでわいてきて。
日曜を楽しみ、家に帰る人たちの乗った地下鉄の中で、こっそり、ぽちっと泣いた。
生まれている。それだけでいいのか。
この最近。久しぶりに大きな解離の症状が出て記憶の混乱が多少。
解離の症状がでたとき、元からあるじぶんはこころの奥、その表面にあるガラス瓶のなかにいる。ガラス瓶のなかは、うとうとと眠気がわいてくる場所で、身体の外にある世界が遠くなる。じぶんの身体は補助システムのこころが動かしている。ガラス瓶のなかにいる間は、記憶がうまくつながらない。
記憶の混乱が起きたあと、じぶんが戻ってくると。ガラス瓶のなかに入ってしまったじぶんを、どうしても責めてしまう。自分でありつづけられないことを、悲しく思う。
でも、
生まれている。それだけでいいのなら。
今のまま、ガラス瓶に入ってしまうわたしも。記憶が混乱するときのあるわたしも。
生まれた。そして、生きている。生きているのだから、それでいい……そう思えて、少し力がぬけた。
友人に子どもが生まれた時。「生まれる」がとっても嬉しかった。
なんとも言えず、ぴかぴかに輝くような嬉しさ。その気持ちも思い出した……父も、そんな気持ちだったのかな。
父に「ありがとう」と伝えたくなった。
月を見上げた。
満月の近い月は明るかった。