人がいてくれたから、じぶんが自分とつながれる

「いいな、うらやましいな」を感じないように。もっともらしい理由をこれまで持ってきた。
一生懸命に取り組んでみて、それなのに。どうすることもできない、と思いたくなくて。「興味はあまりない」とか「わたしは外野の立ち位置で」とか、やってみてたことにも、最近きづいた。

わたし、かなり「人が好き」だ。

それなのに、人と関わるのがこわい。人嫌い。と言い続けてきた。(実際、かなり怖いのだが)
見守る立ち位置が程よいから、とじぶんに言い聞かせて人の輪から離れて立ってきた。観察者だけでいようとして、中に入りたいときも輪の外に出ようとしてきた。

もう、やめた。
わたしも、人の中に入りたいとき。人のなかに入る。
外の立ち位置だけを作るのはやめる。

楽しく、人と過ごす時間。
わたしが作ってもいいんだ。

誰か、まわりが作っている楽しい時間を、見守るだけじゃなくて。
仲間に入れて。と言っていいんだ。

—–

やらない理由。
いくらでも、思いつくものだ。

そのことは本やブログで教えてもらって。直接、伝えてもらって。
知っていたはずなのに、じぶんが「やらない理由」を作ってきたことに気づけなかった。

薄皮はぐように、じりじりと。じぶんが自分とつながろうとする。
つながっていることを意識しないくらいに、しっくりと自分である時もある。また、じぶんを見失い始めてるかなと気づき始める時もある。その繰り返しの中で、また。じぶんが自分とつながりはじめた。

わたし、思い切りやりたかったんだ。
うまくできない。凹むこともあるかもしれないけど、やってみたかったんだ。

—–

そうやって、ひとつ。やりたくて、やらなかったことを取り戻せたのは、人がいてくれたおかげ。

自分らしい生き方ってなんだろう? 考え、行動してみる中で、知り合った人たちがいてくれたおかげ。
「ようちゃんは、ようちゃんだね」と笑ってくれた友人たちがいてくれたおかげ。

それに励まされて、まずは、ひとつ。やりたくて、やってこなかったことを言葉に出してみた。

「書く」をしごとにしたい。
論文や研究書ではない、書きもの。それを書きたい。
……おそるおそる口にしてみた。

それからは、じぶんの中でも開き直りができ始めたみたいで。こっそりと書いていた創作物たちも、ごく一部の友人には話せるようになってきた。普通の文章を書く勉強や練習をしてこなかったかもな、と書くことに関する講座やゼミに行ったり、本を読むこともはじめた。

自分が行動を始めたことで、「書く」をしごとにしたい欲は少しずつ満たされ始めた。

やりたくてやらなかった、ひとつが満たされ始めたら、じぶんが自分とつながる力が少し強くなった。

—–

じぶんが自分とつながる。その力が少し強くなったら、また、もうひとつ。
やりたくて、やらなかったことに取り組みなおそう、と思ったものが出た。

それは、まだ。
〇〇をしたい。とはっきり言える名前をもっていない。けれど、やりたいこと。

広い草地のある公園で、人が数人あそんでいる。追いかけっこをしたり、ひなたぼっこをしたり。おしゃべりをしたり。そして、時々、笑い声が聞こえてくる。

のび~っとできる、あたたかでおだやかな場所。
近くなりすぎないけれど、遠くはなれすぎもせず。安心できるところ。

そんな居場所をみながら、一緒に「にまっ」とするのだ。

そうなれるように、寄り添う。そうなるように、形をみせる。
元気な時は、元気を分ける。しょんぼりなときは、声を聞いてじぶんの形を思い出す。

そういうことを、わたしはやりたい。
その、やりたいこと。まだ、名前がつかないけれど動き始める。そう、決めた。

安心しておだやかな居場所のなかで、数人の友人たちがあそんでいる。
そこで一緒に「にぱっ」と笑う。

今日は、ころあいもよく満月の夜。
満月の誓いとして、わたしのすごしたい景色を残す。

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