「回り道」にもつイメージ -あたまとこころの奥底のくい違い

回り道とは楽しいものだ。なぜなら、見ることのできる景色がふえるし、人に喜ばれるから。

これは、先日、みつかったじぶんの思い込み。 こころの奥底で、わたしが感じていたこと。
自分のあたまでは「回り道はめんどう」だけれど、こころの奥底では「回り道は楽しい」と感じていたようだ。

じぶんのこころが思っていたことだけれど、わたしのあたまが知っていることと食い違っている。
こころとあたまとの食い違いが大きいと、ぞわぞわする。目的地になかなかたどり着けなくなる。

こころの奥底、潜在意識が現実をつくる

こころの奥底、潜在意識が現実のことがらを選んでるといってもいい。だって、無意識のうちにこころの奥底の望みは自動操縦でかなえようと動いてしまうのだから。
どれほど、あたまで「ほかのことやりたいな」と思っていても、無意識でふらっと動いてしまう。気づくと、無意識のおもうルートで現実は進んでいく。

あたま(思考)でわかっていることと、こころの奥底(潜在意識)がもっていること。
それらがまるで違っているならば、エネルギー分量が多い潜在意識の側に、目の前で起こる現実はひっぱられていく。目の前に見えている現実と、行きたいと思っていたはずの景色が大きくずれて、ますますあたまが混乱していく。

自分のあたまでは「回り道はめんどう」だけれど、こころの奥底では「回り道は楽しい」 と感じているわたしの場合。
ほかのやり方あっただろうに。
この経験、どうしてする必要があったのかな。
これがなければ、もう少し早くいい感じになれたのに。
「 回り道になってしまった」と感じること多くて、なんだかじぶんにがっかりしてきた。

がっかりしても、まあ、それがわたしよね。
あきらめもしたのだけれど、ざわつくこころは残る。調子が出てない時だと、つい、うっかり自分を責めてることもある。

でも、わかった。

こころの奥底が、回り道を楽しんでた。

あたまでは「回り道とは面倒なものだ。なぜなら、時間がかかるから。もっと手っ取り早くゴールしたい」と思っていた。でも、こころの奥底、潜在意識で「回り道、ひゃっほ~」と喜んでいるのだから。
……無意識のうちに、うっかり 回り道をしてしまうね。

どうすれば、こころとあたまの食い違いがなくなる?

無意識を書き換えるより、思考がよりそう感じ

無意識にある「回り道とは楽しいものだ」という感覚。
これを「回り道より最短距離で行こうよ」と書き換えようか。

そう思ったのだけれど、それも、おもしろくない。とわたしはおもった。

だから「 回り道とは楽しいものだ」とこころの奥底は思っている。そのことを覚えておこう。
あたま(思考)の側がこころの奥底に寄り添う感じ。
こころの根っこは「回り道たのしい」のだから、しょうがないね。

そうすれば、目の前で起きている「回り道」をすべて楽しめるかもしれない。
少なくとも、回り道を自分を責める理由にはせずにすむ。
あたまがこころに寄り添えば、現実への違和感も小さくなっていく。

ほかの考え方はないかな、ほかの感じ方はないかな

回り道をする理由は「見ることのできる景色がふえるし、人に喜ばれるから 」だと、こころの奥底で思ってる。

だとしたら
回り道以外で「 見ることのできる景色がふえるし、人に喜ばれる」やり方はないかな。
あたま(思考)でおもいつくやりかたで、何か思いつかないかな。

そのあたり、わかってみれば。もしかしたら、回り道をしなくなるのかもしれない。

……けれど、今。考えてみて「回り道、楽しんでたんだ」という納得感が大きい。
だから、わたしはしばらく「回り道はたのしい」ということで過ごすと決めた。

どちらにしても、まずは。こころとあたまが食い違ってたと知ることが始まり。
知ることができれば、そこからどうしようかと選ぶことができる。

田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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