「自己肯定感」は気球みたいだと、わたしは感じている。ふわふわ、ぽよぽよ、やわらかで。いくらでも空高くに上がって行ける。そんな軽いエネルギー。
生まれたままのヒトの自己肯定感はたぶん高い。
世界と切り離された寂しさを感じてはいるけれど、まだ世界の何ものにも染まっていないから。生まれたまま、たましいのままの軽いエネルギーをもっている。
けれど、少しずつ周りを知るようになり。自分自身と自分を取り巻く世界との間に、関係性を感じ始めるあたりから、変化が見える。自己肯定感の軽さに、重みが加わり始まる。
その重みは、育ててくれている人からの「愛」の重み。その愛に応えたくて、自分自身につけた錘の重みでもある。
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「愛」の表現法は人それぞれに違っている。よりよく生きて欲しいからと「こうあって欲しい」と望む姿も違ってくる。
その「愛」や「こうあって欲しい」姿に応えたくて、周りの人たちの笑顔が見たくて喜ばれたくて、自分で自分に錘をつける。
ほんとうは空高くあがって、風の吹くまま、気分のむくまま。飛んで行ける気球のようなわたし達だったのだけれど、その場にとどまることを選び、自分自身に錘をつける。
その錘が、自分ルール、罪悪感や自己嫌悪だと、わたしは感じている。
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周りの期待や愛に応えようとしはじめた時から、自己肯定感は場合や時によって、上がったり下がったりし始める。
とくに、集団主義が主流な日本では、周りに居る人達に望まれる姿を目指すことで、「自分」の存在を受け入れていくといった文化がある。だから、せっせと周りにあわそうとする。
周りにあわそうとして、それでもあわなくて。枠に押し込むみたいにして「自分」を直していく。
そして、何年もそれを続けて、気づけば。あの軽かった、気球のようにどこにでも行けた自分を見失ってしまう。
生きづらいかなと感じるときは、錘が重すぎるとき。気球の軽さを忘れているとき。
だから、そのままの自分で良かったんだと思い出せれば、生きづらさも和らいでいく。
自分自身が周りを愛していたから、自分で錘をつけていたと思い出す。
枠を作ってみたのは、自分自身のやさしさや愛であったと思い出す。
そして、自分で自分をしばってある枠をほどく。
枠の向こうには違う選択肢があることを思い出し、いくつもの選択肢を探す/見つける。
自己肯定感という気球は、周りを吹く風に揺れる。風の強さが揺れれば、気球の揺れ幅も変わる。自己肯定感も、自己否定の強さも、いつも揺れている。
だから「自己肯定感を高くしたい」と思いつめない。短い時間のなかで、いつも揺れ動いているものだから。
自己肯定感が高くても低くても、その時々の自分を受け入れる。
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こんな話をした90分でした。
お越しくださったみなさま、どうもありがとうございました。おかげさまで、無事に終わりました。
いただいたご感想をみると、覚えておいていただきたいなとわたしの思っていた部分が、みなさまに届いていたようで嬉しかったです。ありがとうございます。
ご意見やご感想、あのときの質問たちをもとに、次回のミニ講座内容を調整しはじめました。
次のミニ講座のテーマは「ビジョン」。
目標設定が苦手なら、感覚を追いかけてビジョンに向かっていくのはどうだろうか、との提案までやってみるつもりです。おたのしみに。
ぎっちりとした資料が魅力で、がっちりと知識を吸い込んでもらえるような型の講師をやってみようと頑張った今回のミニ講座。でも、わたしは身体でも感じてまるごとを受け入れてもらえたら嬉しいから。
受講して下さるみなさまには、身体の感覚を感じながら、身体の様子を観察しながら、受けていただく講座になる。
次回も、身体を感じて観察して、そして「ビジョン」のことを知る時間にしたいと思っています。聞きに来てくださいね。お待ちしています。
お礼と感謝と、次回への野望(?)の記事でした。
お告げ師でカウンセラー 田村洋子でした。
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