あなたの願ったわたしでなくて、ごめんなさい。罪悪感のルーツにたどりついた?

この最近、自分の内側をほじくりかえしてみることにはまっている。それは、「もう傷つきたくないあなたが執着を手放して「幸せ」になる本」(以降、「手放し本」と書く)のなかに書かれてあるワークに取り組もうとして、何を手放すのかを思い浮かべようとしたら、頭まっしろになったから。

内側をせっせとほじくりかえしていたら、お母さんやお父さんに「ごめんなさい」と強く思っている、小さなわたしが出てきた。

あなたの願った私じゃなくて、ごめんなさい。

心の奥にかくれていた小さなわたしは、強い強い「ごめんなさい」の気持ちを、母にも、4歳の頃に死別した父にも持っていると実感した。

「ごめん。おかあさん。
 おかあさんの思うような娘にはなれません」

「ごめん、おとうさん。
 おとうさんが願ったような子どもにはなれません」

本当は、わたしは怒りたかった。

わたしの願った形で愛されたくて。
でも、その形では愛されなくて、さびしくて。
愛をくれない「あなた」なんて、わたしの願ったあなたではない!! と、怒りたかった。

でも、その気持ちを言い出せずに飲み込んで、気もちの持って行く場がなくなって。

愛されないのは、私が悪い。だから、ごめんなさい。
そう思うことにしていたみたい。

わたしの罪悪感のルーツかもしれない

愛されたいと思って、ごめんなさい。
全部、この気持ちをなかったことにします。

わたしは、ひとりでやります。
迷惑もかけません。

自分で自分を護ります。下の子たちも私が護ります。
さびしがっている妹や弟たちのそばには、私が寄り添います。

だから、ごめんなさい。
私のことは、ひとりでなんとかします。

「ごめんなさい」を感じたくなくて、なんとかしようとしたら、わたしはひとりでいなければならない。感情もなかったことにしなければならない。

全てから、離れなければならない。わたしは消えなければならない。

あなたの願った「私」でなくて、ごめんなさい。

……これが、私の持っていた「罪悪感」のはじまりの形(かもしれない)。

私の願ったあなたとは?

小さかった私がお願いしたかったけれど、口にできずにのみこんだものが、時間を超えて、今もわたしの心にこびりついている。

私が、本当は欲しかったもの。
それは、私の願った「あなた」。

母には「護ってもらいたかった」。(でも、そうならなかった)
父には「そばに在って欲しかった」。(でも、いなくなってしまった)

どうして、護ってもらえなかったのか。
どうして、そばに居てもらえなかったのか(死んでしまったか)。

その理由を探し続けて、見つけられなくて。
でも、大好きな母と父を理解したくて、理解できなくて。

大きな謎のままで、残してある。

その謎は、ほんとうは知りたいのか、知りたくないのか。
それすらわからなくなって、心の奥で冷たく固まってある。

わたしの持っている、大きな執着?

小さな私は、わたしのわかるやり方で愛されたかった。

大人になったわたしは、母も父も、それぞれの愛し方でわたしを愛してくれたと知っている。愛してくれた瞬間があったと、思い出せる。

けれど、小さなわたしにとって、その愛では足りない。

もっと、愛してほしい。もっと、もっと。
わたしが思うように愛してほしい。

たくさん欲しがって、あっぷあっぷ溺れたみたいに息苦しくなっている。

この「あっぷあっぷ」となる感覚を味わいたくなくて、人間関係が近づくとぴゅんと逃げたくなる。ひとりでいたほうがましだと、ひとりになろうとする。

でも、本当は愛されたい。ごちゃごちゃのわたし。

本当は、愛されている(かもしれない)

相手の顔色を見て、気に入ってもらえるようにわたしの形を作り替えるときもある。

作り替えたわたしでないと、愛されない。
元のわたしのままでは、愛されない。

相手が、自分を大切にしてくれても、信じられなくなる。

彼が愛情を示してくれたとしても、素直に愛だとは感じられません。
「私に気を使って言ってくれている」
「本当はそうは思ってないけど、彼は優しい人だから」
「今はそう言ってくれるけど、いつかきっと嫌になるんだから」

すごいな、執着。

そこに「愛」があるのに、目隠しされたみたいになって見えなくなる。
受け取ればいいだけなのに、受け取ることが怖くて突き放してしまう。

なんて、もったいない……でも、わたしは、これをやっているんだなあ。

受け取り拒否はやめて、まるっと受け取りたいな。

「ごめんなさい」をほぐして、自分に近づく

なにを、どうやってほぐしていけば、この「ごめんなさい(罪悪感)」のルーツがほぐれていくのか。

まだ、その先がわたしには見えていない。

じっくり、ゆっくり。ノートに書きだしてみて、自分の内とおはなしをしていく。

ノートに書き出すこと、行き詰まったなら、そこからはカウンセラーさんの出番。行き詰まった言葉をはじまりに、視点や切り口を変えて、自分の内側と向き合っていく。

自分でノートに書いて掘り出して、カウンセラーさんと話して掘り出して。
また、自分でノートに書いて掘り出して。
その繰り返し。

いっそ、母に会ってはなしをすれば、ましになるのだろうか。
イメージのなかで、母の姿と対話する時間を持って考えてみよう。

自分を知って、心、かるくなっていく

わたしは、わたしでしかありません。
それでも、わたしを好きでいてくれますか。

もちろん!!
わたしは、わたしを好きでいる。
わたしは、わたしでしかない。仕方がないけど、それしかない。

……きょうは、そんな感じのこと、思っている。

さて。「執着」をこれだとわかって、掘り出せる日は来るのか?
不安になりつつ、まあいいか。

じっくり、自分を知っていく。それは、タマネギの皮を一枚ずつ、はいでいくみたい。中央に近づいていくにつれて、軽くなっていく。

自分を知るのと、タマネギが違うのは。はいでもはいでも、終わりがないということ。

だって、人間だもの。
悩もうと思えば、いくらでも悩める。

だから、悩んだ分だけ「自分を知った」ことにする。知れば、たのしくいられる工夫を自分で選ぶことができるようになる。

自分を知れば、知った分だけ、心かるくなっていく。自分も開いていく。

しっかりと自分を開く
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