自分がこころにはめている枠を知って、よりじぶんに戻る

10月から始まったお弟子講座、ついに卒業回第6講の1日目。
半年分をいっしょに過ごした弟子仲間さんの顔を見て、涙腺ゆるむ。じんわり、涙出てくる。まだ、あした2日目もあるのに。だいじょうぶかな、わたし。修了式のとき、じゅるじゅる水分たくさんこぼれそう。

さておき。

今日は、応用心理学の授業。事前に渡されていた相談文へ回答するとき、自分だったらなにに着目するか。どうやって、その相談に回答したいかを、数人で披露しあう。

この時間、毎回、おもしろい。同じ相談文を見ても、どの部分に目が止まるかは人によって違ってくるから。

わたしだったら相談文の方へのお返事を、どんなふうに書こうか。
考えながら、着目点と回答方針をメモしていく。

「普通だったら、こうやってこたえたいよね」と、わたしの頭にうかんだ。

ああ、わたしは。これが「普通」だと思ってたのか。わたしのこの価値観を、相談者さんに押し付けていないだろうか。

自分が当たり前で、普通に思っていることを、わざわざ相手に確認することは少ない。

それでも、わたしにとっての「普通」がどういった内容なのか。
知っていれば、相手の方と内容を確認しあえる。

カウンセリングの場で。
自分で気がつかないままに、わたしの価値観を相談者さんに押しつけていないか。気を配っているつもり。

それでも、相手の受け止め方や感じ方の違いで「考えを押し付けられた」と思わせていないかな。大丈夫かな。

何度も、自分を振り返る。

自分自身、気がついていないかもしれないこころの癖。それは誰にでもある。

こころの癖を自分で知っていれば、だれかにその癖を押しつけてしまうことも減るはず。

「どうせ 〇〇 でしょう」
「だって 〇〇 でしょう」
「普通、〇〇でしょう」

この 〇〇 に入る内容が、じぶんが信じてしまっていること。観念(ビリーフ)。こころの癖。

こころの癖があることで、自分自身に知らず制限をかけている。だから、その癖を知れれば、より自分へと立ち戻っていく。あると知れば、その癖を気をつけることができるから。

こころの癖をほどくことは、自分で自分にかけたのろいを解くようなもの。
のろいがとければ、そこに本質的な自分があらわれる。

力、少しずつとけて自由になる。じぶんを生きる。

相談者さんのことばを聞いていると、ざわざわと自分の体の中に何か動くときがある。自分の持っているこころの癖が、相談者さんのことばに反応して出てくる動き。

今日は、その動きが強め。最終的に、お腹の一部がきゅうっとこわばる。このこわばりにも、何か意味があるのかな。怖さとも違う、気持ち悪さ。

この身体の感覚が、自分自身の感情とうまくつながって、感じ取れるといいのにな。そうすれば、もっと詳しく、自分の感情を知ることができる。相談者さんのこと、より深く観察できる。

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自分ではじぶんのことを観察しづらいことも多いから。自分ではない人に手伝ってもらって(コーチングやカウンセリングを受けて)、客観的にじぶんをみつめる。

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