手書きの文字に乗るエネルギーって、ほんとうに圧倒される!
友人が書展に作品を出したというので、のぞきにいってきた。そこでは書に関する3つの展示会がされていて、それぞれに趣のことなる展示方法。
書だけの展示、書と絵画の両方を扱う展示。書だけあるブースと絵画だけあるブースとで、感じる感覚が変わる。字を見るわたしと絵を見るわたしで、身体の中で動く感覚や熱さが変わる、その不思議。
かけられてある作品の大きさも、カバンに入りそうなものから、壁一面の大きさのものあり。作品の大きさが大きいと、圧倒される。けれど、小さくてもその気配に圧倒される作品もあり、これがもしかすると作品の完成度なのかしらと思う。
書の書体もあれこれとあって、きっちりお行儀のよいものあり、うねる形で字が何かわたしの知識ではわからないものあり。くずした文字で読めないけれど草の生えた景色みたいでおもしろいものあり。
作品どうしの間が程よく開いている展示室もあれば、壁じゅうぎっしりと大きめの作品をかけてある展示室もあり。
ぎゅうぎゅう、びっしりと並ぶ展示室では、頭くらくらしてくる。 書の展示室は書いてあるものを壁に貼ってあるだけ(?)だ。それなのに、文字がなにかを伝えてくる。文字がびっちりと並ぶ展示室は、大勢の人に遠くから見られているような、落ち着かない気分がしてくる。
筆で書く文字は、線が力の入れ具合によって太さを変える。そこに何かが宿るように感じた。
文字たちに囲まれて落ち着かない中で、お経を身体に書いて幽霊から身を守ったという昔ばなし、耳なし芳一を思い出す。文字に霊力が宿ると信じたから、身体を守るために文字を身体に書きつけた昔ばなしができた。文字に不思議な何かを感じた人は多かったのかと、手書きの文字を少し見直した。
書いた人の何かの力が文字に乗るならば「お恨み帳」を書くことで、自分の心が落ち着いてくることも理解できる気がする。
お恨み帳は手書きで。そして、ぜひとも筆ペンで。そう推したい。