満月の夜に空を見ていて、ふってきた言葉は「表と裏」。表と裏とは「どちらもある」といえるし「どちらもない」ともいえる。ふしぎな言葉。
表と裏。その不思議さ
表には裏が必ずひっついていて、表だけしかないこともなく、裏だけしかないこともない。表と裏と、どちらもがある。
人間にも、表と裏とがある。周りに見えている表のわたしと、自分だけの見ている裏のわたしと。
周りから見えていると思っているけれど、伝わっていなくて自分の内側にしかないものもある。
自分だけにしか見えていないと思っているけれど、周りに伝わり見てもらっているものもある。
どこからが表で、どこからが裏なのか。その境目はとってもあいまいになる。
表だけでいいや。裏だけでいいや。完全に分けてしまうとする。
そうすると、表の表と表の裏、裏の表と裏の裏ができて、結局のところ、表と裏とどちらも存在することになる。
だから、表も裏も。どちらも、そこにあるんだと受け入れる。そうしたら、どちらが表で、どちらが裏で。表も裏も、関係がなくなる。
自分自身に向かう「表と裏」
表があってもいい。裏があってもいい。
表も裏も。
見せてるものも見せたいものも。自分だけのものも周りにふともれてしまう気配も。
その全てが自分自身。
だから、自分でいるしかない。
今の自分が何を思っているかを感じ取るために思い出してみる。
思い出してみたいこと(ノートなどにメモして、自分自身の目に触れるとなおよし)
この数日のじぶんの感じたこと、思ったこと、やってみたこと。出会った人に受けた印象。自分のきいた言葉で印象的だったこと。自分が何度も周りに伝えていたと感じた言葉。
思い出したもの達は、今そのときの「わたし」を作っているものを自分で知るヒントになる。そのヒントも参考にしながら、この先の時間の中で会える「わたし自身」の形を思い浮かべる。
そのときの「わたし」はどんな形のじぶんだろう。どの形がわたし、そのものになるんだろう。
考えてみたいこと(ノートや手帳にメモして、自分自身の目で見て。お正月明けくらいまで何度か書きなおしたい)
来年、わたしはどんな人になっていて、何を周りと分け合ってるだろう。
来年、何をかなえたいと思って、どういったふうに行動するだろう。
誰に会っている? どこへ出かけている? 何を食べたかな? 何を感じてるだろう?
そこへ向かって進む、道の途中でいま、ぽつんと空を見上げているのが今。
まっくらで見えないような気がしていても、空にはまあるくおつきさま。天の窓から光は届いている。