ドーナツの真ん中にあるのは何?

人との親密度があがりすぎると、その相手を失うことに耐えられない気がする。だから、ある一定以上は仲良くしない。より身近な親密さを感じたくない。本当の親密さから少し離れれば、程よい距離を保てば、自分は落ち着いて相手と仲良くできる。

本当の近くでなければ人を寄せられる。少し離れた場所から先にはいくらかの人がいるけれど、 すぐ近い場所には誰も置いておけない。 これが、これ以上、傷つきたくない思いが創り出す、心の構造。ドーナツ化現象。

家族などとの関係で欲しかったのにもらえなかった、その寂しさたちが自分の近くに人を寄せない。無くすくらいだったら、はじめからいらない。だから、人を遠ざける。そしてドーナツの穴が出来上がる。

誰かと親密になり始めると、しんどくなってきたり、いたたまれないような感覚を覚えたり。
人に近づいていくことがどうも苦手。仲が良いと言われる状態が続いてくると、不安が先に立っておちつかなくなり、自分からするりと逃げ出そうとしてしまう。

親密になることを、どうも怖がっている節がある私。確実に、ドーナツ化を起こしている。

穴あきドーナツも、いずれはまんまるドーナツにしたい

今日、友人の実家まで掃除を手伝いに行ってきた。台風で実家の前の川があふれて、家の中にまで泥水が入ってきたという。田んぼの中にあるような、ぐったりとした粘土が家の1階にべったりと重なる。お手伝いの手が欲しいと伝えてもらったおかげで、自宅まで押しかけることができた。

お互いに、同じ時間を過ごしているからこそ、家族たちの中ではしんどいとか疲れたとか口にしづらくなる。ドーナツの穴の中で、お互いにはなしをするならば、ぐるりと壁に取り囲まれて外が見えない。

ドーナツの穴の外側にいる、そこそこの他人だから、話せることがある。泥出しの片づけついでに、言葉が出せたり気分が変わったり、助けになっているといいなと思いながら、今日、できることをしてきた。

思っていたより、手伝えたことが少なくて、申し訳ない気もした。けれど、友人の顔を見ることができ、日常に戻れるようにと、ささやかに手伝うことができて嬉しく思った。

帰り道。一緒に片づけをした友人と、ぼんやり話をしながら電車に乗った。 お互いに読んだばかりだった根本さんの書いていたドーナツ化の記事( 親密感への怖れが「心のドーナツ化現象」を作り出す。)の話になった。自分の周りにドーナツのような穴が開くのは、仲良くなったその関係性を無くすことを恐れて遠ざけるからだ。もしかしたら、聞きたくない言葉を遠ざけるために、人間ごと遠ざけていることもあるかもしれない。

身近になってくれた人が、きっと私にいうに違いない言葉がある。けれど、その言葉を私は受け入れられないし、聞きたいと思っていない。それならいっそ、その人ごと遠ざければ、聞きたくなかったその言葉を聞かずに済む。そうしてできたドーナツもあるかもしれないね。

もし、そうだとしたら。
私は、何を伝えられたくないのだろう。

私にはないと感じている「感情そのもの」のことかな。もし、豊かな感情を表現可能な私であったなら。より近い場所にまで誰かをちかづけられる体力をもてるだろうか。

心の中にあるドーナツを感じながら、ふたり話すことは、あっちへいったりこっちへいったり。そのうち、なんとはなしに私は「女性らしい。パステル調が似合っていて、おだやかに過ごしている人に見える」と言われることとなった。

!!! 受け入れられません。聞こえてないことにします。

聞こえてないことにするにも限度はある。何人かに言ってもらえるのだから、もしかしたら、そんな私も内側にすでにいるのかもしれない。それなのに、どうも受け入れづらい。

私が女性らしい。おだやかに過ごしている。
それらを受け入れることで、何かをなくしてしまうように思う。じぶんに似合わないと強く思う。だから、その言葉を聞きたくない。

言葉を聞きたくないと思う分、こそっと友人から心の距離をとった。そんな自分のようすに、ようやく気がついた。

こうして、ドーナツの穴ができてるのか。

そうするうちに、別の話に流れて行って、友人と駅で別れた。心の中に、ドーナツの穴ができる理由をもひとつみつけて、ちょっと満足。

帰宅してわけてもらった器で酒盛り。あいまに飲むお水も、しっかりと用意。そして、机の前でかちゃかちゃと、メモを作ったりブログを書いてみたり、資料を送りなおしたり。

お酒を今日のむ分だけ片口に入れて、おおぶりなぐい飲みで飲む。

もし、相手にモノコトゆだねられるくらい、女性性が高ければ。女性らしいね、きれいだねと言ってくれた相手の言葉を受け入れて、自分が女性らしくきれいであると自信を持てるのだろうか。

もしかすると、心のドーナツの穴の中には美しく女性らしいようすと 、泣いたり怒ったりする激しい感情を表現する力が入っているのかもしれない。それらを受け入れられた時、わたしのドーナツはまんまるになる。

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