今日は新月。旧正月でもあり、中華街のほど近くはかなりにぎやか。赤い中華風なぼんぼりが風に揺れ、人々の笑い声や話し声が耳に届く中で、静かに心のなかをのぞきこんでいる。「嫌い」について考えている。
「好きなもの」を聞かれたら、誰でも自然と笑顔がこぼれる。そして、答えることにためらいはない。けれど「嫌いなもの」となると、言葉が喉元で引っかかる。その傾向は、年を重ねるごとに強くなるもの。
「嫌い」と言うのは自己中心的なんじゃないだろうかとか、角が立つから控えた方がいいんじゃなかろうかと思うことが増える。それは、誰かを傷つけたくない繊細な優しさや、自分自身が理想としてきた「大人」でいたいという強い思いの表れ。
でも、そっと立ち止まって考えてみて。
日常のふとした瞬間に感じる違和感。誰かの何気ないひとことに感じるざわめき。
それ、実は。あなたの内なる声が密やかに語りかけているメッセージなのかもしれない。あなたの心が大切にしている何かを守ろうとしているサインかもしれない。
例えば、職場で「とにかく効率よく」と言われたとき。なんとなく落ち着かない気持ちになったなら、それはあなたの内側から「ひとつひとつを大切に」という声が聞こえているのかもしれない。
または、友人の「みんなと同じでいいじゃない」という何気ない言葉に、カチン!と来る感覚。それは、あなたの心が「自分らしい道を歩みたい」と願っているサインかもしれない。
ふと耳に飛び込んできた「そんなに考えなくていいのに」という言葉への違和感。それは、あなたの中にある「深く考えてしまうことで見えてくるものがある」という確かな想いかもしれない。
「嫌い」という感情は、実は私たちの内なる魂の声。あなたの魂が大切にしている価値観を、静かに指し示してくれる。
もちろん、その感情に向き合うのは簡単ではなく……特に、周りへの気づかいが自然と身についた私たちは、自分の中の「ノー」という声を、つい押し込めてしまいがち。「嫌い」という感情を受け入れることに罪悪感を感じることもある。
「嫌い」を素直に認めることが、自分自身を理解するための大切な一歩。
でも、その感情を丁寧に見つめ直すとき、不思議と心が軽くなる瞬間がやってくる。それは、自分の中の確かな基準を見つけた喜びかもしれないし、もう無理して取りつくろわなくていいという安心感かもしれない。
そして、「これを嫌い、嫌だと思ってたんだ」と気づけたとき。自分が本当に求めているものや、これから大事にしていきたいものがはっきりと見えてくる。それは、まるで長い間くもっていた鏡がそっと拭き清められていくみたい。
そこには、ありのままの「私」が、静かに浮かび上がってくる。
今夜、お気に入りの場所で、今日感じた「嫌だな」という気持ちを、やさしく振り返ってみませんか? それは、意外にも自分を大切にする第一歩になるかもしれません。
その小さな気づきの先に、もっと豊かで、本物の「私」が待っているはず。
* 実践してみませんか。
静かな夜の時間に、お気に入りのノートを開いて。のんびりと
この一週間で感じた「これ、なんだか嫌だな」という感覚を3つ、書き出して。
それぞれの感覚に、どんな大切な想いが隠れているかな、と探ってみる。
きっと、新しい自分との出会いが待っています。
それでは、またね
田村洋子でした
等身大の自分をみつめるって、痛いこともあるからひとりじゃ向き合いづらいことも多い。そんなとき、一緒にみつめてゆきましょう。