久しぶりに会うことになった友人と話をしていて、ふと、ある一言がわたしの耳にひっかかる。
「ようさん(わたし、田村洋子)が、ごはんのことを投稿するとき。たいてい『炊いている』よね」
???そうだったかな。(わたしに覚えはない)
そうして、自分の投稿を振り返ったら……「炊いていた」よ。
小豆を「炊き」、豆ごはんを「炊き」、七草がゆを「炊き」。ほんと、しょっちゅう「炊いている」を使っている。でも大豆は「煮ていた」(炊いていなかった)。
「え? でも。炊くって言うよね。ちゃんとした単語だよね」
と、友人に伝えながら。また、はっとする。
……わたし、また「ちゃんと」という語を使っているわ。どうにも、すぐに「ちゃんと(きちんと)」したがる。
*
「ちゃんと(きちんと)しなさい」は、幼いころから頻繁に、わたしにかけられた言葉だ。
古い地区で育ったから、いつも、周りに見られている。隣近所どころか校区の4分の1くらいは、どこの誰さんか家や名前が分かってしまう。
「だから、模範であるような正しい人でありなさい。ちゃんとしなさい」と言い聞かされた。
けれど、わたしは「ちゃんと」がわからない。
世間的に見て、一般的に見て。ちゃんとするように努めた。
でも、その「世間的」「一般的」という判断基準で示される「ちゃんと」は、母など自分の周りにいた大人たちにとってのもの。普遍的真理とでもいうべき、神様のような目線から見た「ちゃんと」とは違っている。子供世界の中での「ちゃんと」とも違う。
だから、わたしはものすごくたくさんの「ちゃんと」を使い分けながら、暮らそうとしていた。
その癖が、まだ、残っているみたいで。ふと、また「ちゃんと」したくなる。
でもね。
また「ちゃんと」したくなっていたか。
そうと気づけたら、もう大丈夫。自分自身のことを、第三者みたいに俯瞰して見ることができているから。
または友人とか、身近にいる人に「口癖」のこと教えてもらうのもいい。教えてもらえれば、自分で気づける。自分で気づければ、それはもう俯瞰して自分を見ているってことだから。
俯瞰して自分のことを見ることができたら『これから、わたしはどうしたい?』と、もう一度、自分で選び直すことができる。
だから、大丈夫。
ああまた、あの心の癖が出ているな。
そう気づいた時に、また。わたしに問いかけ直して、選び直せばいいだけだ。
「えらいぞ、わたし。よく気づいた。
さあ選び直そうか。
わたしは、どうしたい?
どういう言葉を使うことにする?」
そうやって何度も問いかけ直して、選び直して。繰り返していくうちに、新しい癖が身につく。古い癖は、癖だったことも忘れる。
新しい癖が身についているのに、それでも何かのはずみに。また、古い癖が浮かび上がるかもしれない。
けれど、その時にも、また自分にどうしたいか問いかけて、どうするかを選び直す。
そうしたら、そのうち。「なりたかった私」になれていると気がつく。
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