先週末はお弟子さん講座に参加して、その振り返りをまとめつつ日常を送っている。もうすっかり気にしなくなっていたはずの「子どもを産む(わたしは産めなかった)」ことについての、あれこれが心の底に隠してあったはずなのに、ぼこぼこと泡立てて浮かんでくる。ちょっと重い。
まあ、重い。この思いが重い!
重い感じが嫌になって、さて気分からっと浮上しよう。浮上するには、美味しいものが一番。行ってみたかったお店に行こうか。それとも、そろそろ出はじめる冬限定の日本酒さがしてみるか。魚介もいいな、鍋もいいな。……と思ったのだけれど、残念。まだ胃腸炎が継続中だった。
先週のなかばに胃腸炎の症状をひどくして、病院にかかった。それなりに回復して土曜をむかえて講座に出て、おいしいお弁当を目の前にして、おいしくいただいた。でも、まだ食べきるには身体が回復出来てなかったみたいで日曜は用心。そのおかげで回復を順調に続けていた、はずだった。
うっすらと「子ども産む/産めなかった/産まなかった」が、まだわたしのなかでこだわりになっているとは思っていた。その気持ちは消化しきっていたはずだったのだけれど、まだ消化しきれていない感情は残っているみたい。
もう大丈夫。そのつもりだったのに、まだぼんやりとあきらめてない気持ちがちょっこり、くすぶっている。 そのくすぶっている感じをなんとか表に出してみたくて、でもそれはまだ見ることができない気もして。うだうだとしているうちに、また胃腸炎がぶり返す。
胃腸炎とは、うつ状態だったころからのおつきあい。知らず思い悩むことが増えてきたり、飲み込む気持ちが多くあふれてきたら、胃がしくしくとあれて胃腸炎へと変わっていく。そして、少しずつ食べたい気持ちと生きる気持ちが削られていく。
でも、今はまだ大丈夫。何を食べようかなと思えるわたしがいるから、生きる気力は充分だ!
心のもやっとした重さと胃腸炎でしくしくとするお腹を押さえて、治ったら何を食べようか考えているわたしがあさましくもほほえましい。食べたい気持ちを思い出したら、重く抱えていた気持ちがあったことだけメモしておいて、そこから気持ちを離すことにした。
食べたい気持ちがあるけれど、食べたいものを口に運ぶ状態にまでは治っていない。だから、お腹のようすをみながら、くたくたに煮たお粥やゆでたまごをもそもそと口に運ぶ。治ったら食べたいものを思いつつ、できるだけおだやかに時間の中を過ごす。
胃腸炎のときは、とにかく水と塩。梅エキスを湯にといたものも好き。頭の「お腹すいた」に惑わされないように気をつけて。心の「お腹すいた」にだまされないように。お腹がぎゅるんと動き始めて、身体の感覚がおなかすいたと訴えてきたら、ようすをみながらリンゴをすって食べ、うすい卵かゆをすする。
まだ、身体は「お腹すいた」とは言ってこない。のんびり、身体の声を待つことにする。だって、重いのに飽きたのだから、重い気持ちがあったことをメモにだけ残して置いて、気力体力の回復をのんびり待つしかない。
食べること以外の楽しみは、本を読むこと。どきどきなラブロマンス、はらはらな冒険小説、かっこいいお武家様の出てくる時代小説よみながら、「お腹すいた」の声が身体から聞こえるのを待つ。
週末には治っていたいな。
もう、この週末は12月だ。そうこうしているうちに年末が来る。
今年を振り返り、来年を迎える用意に突入する。